早いようで、長かった6か月~少し変わった私の心持
皆さん、こんばんは。
歩です。
中々更新できなくて、済みません。
新しい職場での研修で、ここ2週間、基礎・応用をみっちり叩き込まれていたため、予習復習に時間を取られ、ブログのほうにまで手が回りませんでした。
しかし、そんな中で、ジュニが昨年の7月に旅立ってから6回目の月命日を迎えました。
母が、
「ジュニ、今日はお前の月命日だから、お前の好きなカボチャの天麩羅作ったよ。ナナと仲良く分けて食べなさい」
といって、お供えしていました。
母の作るカボチャの天麩羅が大好物だったジュニ。
あの子が逝ったのが、ほんの半年前だなんて・・・まだ実感がわきません。
緊急事態宣言のため、テレワークを余儀なくされている私ですが、それでも勤務終了と同時に、リビングに飾ってあるジュニと、先代のナナの写真に向かって、
「ジュニ、ナナ、お姉ちゃん、疲れたよ~~」
と思わず話しかけてしまいます。
あたかも、あの子たちが生前、学校や仕事を終えて帰ってきた私を出迎えてくれた時にしていた行動を、今もなお無意識にしてしまっているのです。
父も、毎朝出かける時には、「ナナ、ジュニ、父さん、仕事に行ってくるぞ」
毎晩寝る前には、「お休み、また明日な」と二人の遺影に声をかけています。
母も、朝起きてきた時や、買い物から帰ってきた時、愚痴を言う時、必ずナナとジュニの遺影に向かって話しかけています。
姿がなくても、大切な家族として聞いてくれている、そう思わないと中々心がついていかないのかもしれません。
転職して、新しい環境で奮闘する中、急激に私の周りの時間が流れ始めました。
転職先が見つかるまでは、コロナ下での就職難に焦る気持ちがありましたが、それでも日常生活はゆったりと流れていて、ジュニの急逝と向き合う時間がかなり長かったこともあり、振り返れば、普通に
「お姉ちゃん、構って!」
と綺麗な両目を真ん丸に開いて、尻尾を振っていた、ジュニがいるような気がしていました。
だから、朝起きた時に、
「あ、いけない。ジュニがリビングで待ってる!」
と思って朝食を作りにリビングに行って、誰もいないのを見て、
「ああ、そうだった。ジュニは、もう逝っちゃったんだ・・・」
と凹んだことも何回もありました。
今もその気持ちはあります。
ただ、私の中で少しだけ心持が変わったような気もしています。
上手く伝わるかは分かりませんが、仕事が終わって帰路に着く時、
「ナナとジュニが待っている家に帰ろう」
と思い、帰宅すると、「ナナ、ジュニ、ただいま!」と言える。
もう出迎えてくれる姿は見えないけれど、ここにナナとジュニはいる。
そんな感じがするんです。
もしかしたら、これは私のひとりよがりな思いかもしれませんが、そうやって私や両親がナナとジュニのことを思い出すたびに、二人が家に帰ってきてくれている、
そんな心持で今は過ごしています。