お姉ちゃん、遊ぼ~弟は、フワフワ甘えんぼのビションフリーゼ~

30年以上ビションフリーゼと過ごしてきた回顧録です。日々の記録に加え、病院やトリミングなど、その他もろもろについて、情報交換がてら交流を持てたらいいな、と思っています。

東日本大震災から10年、ジュニはあの日、震えてた

皆さん、こんばんは。

歩です。

亀更新にも関わらず、身に来て下さる皆さん、本当にありがとうございます。

コメント頂いている方も、返信が遅くなって申し訳ありません。

ですが、皆様から頂いたコメントは全て目を通しております。

ありがたいです。

 

少し出遅れてしまいましたが、先週の木曜日、3/11は10年前、東日本大震災、そしてそれに伴う福島第一原発事故と、日本を未曽有の大惨事が襲った日でもありました。

 

黙祷の鐘が鳴り響いた時、私はリモート会議中でしたが、敢えて音声をミュートにして、祈りを捧げました。

何回か、東日本大震災で被災した人のその後、という特集番組などを目にすることがありましたが、被災して、一時的に飼い犬を預けて離ればなれで暮らさざるを得なくなったご家族や、津波に巻き込まれて亡くなった飼い主の傍で、保護されるまで鳴き続けていたワンちゃんの話を聞くたびに、涙が止まらず、冥福を祈らずにはいられなかったものです。

 

幸い、私の家族や友人などはみな無事でしたが、あの地震の日は、今でも思い出すと背筋が寒くなるようなものがあります。

今日は、あの震災の日、私達家族とジュニがどう過ごしていたのかについて、ちょっと書きたいと思います。

 

2011年3月11日

私は大学の研究室、父も仕事で、日中東京にいた。

私も父も、大抵19時までには帰宅し、リビングのドアから玄関を覗き込むジュニの出迎えを受ける、この日もそんな日常が待ってると思っていたあの日。

東日本大震災が起こった。

 

大学の全体指示による緊急避難をした後、構内の安全確認ができたために研究室に戻った私は、この日は、電車が動かず、帰宅できないだろうと踏んでいた。

下手に動くと、余震による建物崩壊などに巻き込まれて、怪我を負う可能性がある。

じっとしているのが吉、と判断した私は、研究室に泊まることを即決、さっさとコンビニへご飯を買いに行ったものの、家にいる母とジュニのことが心配でたまらなかった。

 

地震が発生してから3時間後、母が、研究室直通の電話に連絡してきて、ようやく母とジュニ、そして父が無事であると分かった。

父も、私と同様、帰宅困難と判断して、今日は会社に泊まると先に連絡してきたという。

家のほうも、本棚や食器棚が開いて、中のものが飛び出して散乱したものの、建物倒壊や火災、停電などもなく、避難指示も出ていない、と聞いて安堵した。

 

ただ、ジュニは、相当怖がって震えている、と電話口の母は言っていた。

甘えん坊で寂しがり屋のジュニは、初めて体験することには慎重になるといった、少し臆病なところがある。

電話してきた当時、ジュニは、自分を抱っこする母の膝から降りようとせず、ずっとブルブル震え、不安そうに鳴いていたらしい。

 

後で聞いた話だと、地震発生時、今まで経験したことのない大きな揺れと音に、ジュニは必死に逃げようと窓のほうに向かっていたという。

ようやく揺れが収まって、近くで火災が起きていないか確認のために母が窓を開けた瞬間、ジュニがベランダに飛び出したために、かなり母は焦ったらしい。

ところが、遠くにある石油コンビナートから火災が発生しているのを目にした途端、ジュニが部屋に駆け戻ってきたと、言っていた。

 

日が暮れて、いつもなら帰ってくるはずの私と父が帰ってこないことも、ますますジュニの不安をあおったようだった。

時折やってくる余震、遠くで見える石油コンビナートの赤い炎、そして伝わってくる母の不安、色んなものが重なって、ずっと怖かったんだろうと思う。

事実、普段なら「お腹空いた!」という時間になっても、夕飯を食べようとはせず、普段ならソファでヘソ天で寝るところを、母が膝から降ろそうとすると、「降ろさないで‼」とばかりに、強くしがみついてきて、一睡もしなかった、と母は言っていた。

 

翌朝、電車がようやく動く、という情報をラジオで入手した私は、朝一番の電車に乗り込み、帰路についた。

家にたどり着いたのは、朝の10時近くだったように記憶している。

「ただいま」と声を上げて、玄関ドアを開けた瞬間。

ジュニが今までに見たことがないくらい、ものすごい勢いでリビングから飛んできた。

「ジュニ!ただいま、怖かったね、頑張ったね!」

正直、徹夜と気疲れでダウン寸前だったが、尻尾を振って全身で喜びと安堵を表現するジュニを抱っこして、目一杯ほめた。

初めての体験、人間の私達でも恐怖する大震災、ジュニにはもっと怖かったに違いない。

それとも、もしかして私と父がこの大震災に巻き込まれて、何かあったんじゃないかと心配していたのかもしれない。

私が帰ってきて、ようやく安心したようだ、と母は言っていた。

それくらい、私が帰ってきたあとも、私にべったりして離れようとしなかった。

私が軽食を取っていると、思い出したかのようにジュニも食事をとり、私が仮眠しようと部屋に向かうと、一緒についてきて、ベッドに上がり、全体重を私に預けて横になった。

 

「よしよし、昨夜は怖かったんだね。よく頑張った、えらいよ。少し一緒に休もうね。もう少ししたら、父さんも帰ってくるから」

そう声をかけて、ずっとジュニを撫でていたような気がする。

横から、ジュニが熟睡モードの入った時に出す、長い鼻息を聞いて、ようやく私も寝付くことができたのを今でもよく覚えている。

 

そして、夕方頃に、ようやく電車が空いたと言って、父が帰宅。

家族が全員揃ったことに安堵したジュニは、やはり尻尾をブンブン振りながら父を出迎え、その後は父にべったりだった。

それでも、数日は、私や父がどこかに出かけたり、余震がきたりすると不安そうな顔をすることが多かったから、よほどあの時の経験が怖かったんだろうと思う。

 

でも、きっとあの日、ジュニ以上に怖い思いをしたワンちゃんや猫ちゃんは沢山いて、命を落としてしまった子たちも相当数いる。

運よく助かったものの、その後、震災以前の暮らしに戻れずにいる子たちもいる。

震災によって、心に傷を負った動物たちにも、寄り添ってあげられれば。

私にとって、3月11日は、それを思い出させる日となっている。