皆さん、こんばんは。
歩です。
緊急事態宣言も明けて、気が付けば卒業式、入学式シーズン。
春めいて、桜も満開に近づく中、新型コロナウイルスの変異型が猛威を振るい始めそうですね。
皆さま、引き続き体調にはご注意ください。
さて、ずいぶん長いこと開いてしまいましたが、本日は、ジュニの容態が急変した夜から、あの子が天国へ旅立つまでの記録を振り返りたいと思います。
結構、当時の心境も載せておりますので、読まれると辛い思いをされる方もいらっしゃるかもしれません。
その場合は、無理して読まずにここでお引き返し下さい。
大丈夫な方のみ、下へどうぞ。
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ジュニを緊急夜間診療に連れて行ってから帰宅した私達。
相変わらず、ジュニの呼吸は早い。
けれど、体温は通常の犬の平熱の範囲に収まっているため、このまま様子を見ようという話になった。
それでも、私は妙な胸騒ぎを押さえられないでいた。
こんな風に苦しそうにしているジュニを、見たことがない。
全身を震わせ、まるでしゃっくりがとめどなく襲ってきているような、浅く速い呼吸がずっと続いている。
食事も水分も取らず、じっとして、襲ってくる衝動に、ただただ耐えているような姿に、傍で見守っていることしかできないことが、もどかしくて仕方がなかった。
本当に大丈夫なんだろうか?
明日、朝一で病院に連れて行ったほうがいいんじゃないんだろうか?
そう思っていたが、私達は決断を下せないでいた。
その原因は、翌日が、運の悪いことに、この日はジュニの主治医であるT先生、K先生がいずれも休診であるということ。
この日の担当は、M先生だったが、私達はこの先生を今一つ信用していなかった。
数年前、ジュニは夜の散歩中、ガードレールに耳をぶつけて、耳の骨を骨折し、内部の血管が損傷して、耳たぶの中に血だまりができてしまったことがあった。
この時、診てくれた外科のO先生は、耳たぶの中にできた血だまりを注射器で抜いた後、治療薬を逆に投入するという方法で治療してくれていたのだが、一度だけ、この処置が綺麗にされなかったことがあった。
その時の担当者が、他ならぬM先生だったのだ。
その経緯があって、M先生にジュニを診てもらうのは不安だった私達は、
- 「ジュニを無理にでも連れて行って、M先生に診てもらうか」
- 「もう1日待って、確実にT先生、またはK先生に診てもらうか」
の2拓で迷い、結果、T先生とK先生が担当日の明後日まで待つことにした。
今振り返っても、この時の判断が正しかったのか、間違っていたのか、分からない。
翌日になっても、ジュニは平熱でこそあったものの、相変わらず呼吸は早いし、食欲もない。
辛うじて、水分だけはシリンジで流し込んでやると飲んでくれたが、もう立ち上がって動く気力もないようだった。
本当に連れていかなかくていいのか?
でも、連れて行って、かえってジュニの負担になってしまったら?
何が良くて、何が悪いのか、見えない霧の中を歩いているようで、落ち着かなかった。
父も母も、まんじりとしない様子で、ずっとジュニについていた。
時計の針が真夜中近くになっても、私はジュニのことが心配で、中々寝室に下がることができなかった。
ジュニの背中をさすり、手を握り、頭を撫でながら、
「ジュニ、もう少しだよ、朝が来たら、母さんと病院に連れて行ってあげるからね」
と何度声をかけたか、分からない。
そうやって声をかける度に、ジュニが答えるように目を開けて、視線を合わせてくれることだけが、唯一の救いだった。
明日は、T先生もK先生もいる。
並ばなくて済むように、病院が開く前に、到着できるようにしておかなければ。
父がジュニを看ていてくれると言うので、私はせめて体を休めようとベッドに横になったが、中々寝付けなかった。
きっと、大丈夫だから。
お願いだから、早く朝になって。
心の中で、着実に膨れ上がる、ジュニの死、という予感を必死で振り払いながら、私は眠りについた。