お姉ちゃん、遊ぼ~弟は、フワフワ甘えんぼのビションフリーゼ~

30年以上ビションフリーゼと過ごしてきた回顧録です。日々の記録に加え、病院やトリミングなど、その他もろもろについて、情報交換がてら交流を持てたらいいな、と思っています。

【ジュニの闘病1ヶ月の記録】 ジュニ、天国へ~中編~

皆さん、こんばんは。
歩です。

早いもので、気が付いたらもう5月。

世の中はゴールデンウィークでありながら、コロナの変異種による感染者数増加抑制を見据えた緊急事態宣言のため、職場の同僚は

「休暇じゃなくてただの引きこもりじゃん、こんなの…」

とぶーたれていました。

ただ我が家は、

「基本的にゴールデンウィークは、大掃除と衣替え」

と相場が決まっているため、実はあまり影響を受けていない、という今日この頃です。

さて、今日から暫くはブログ更新にゆっくり時間をかけられそうでしたので、前回に引き続き、ジュニの闘病生活における最期の日のことを書き上げていこうと思っています。
lymphoma.hatenadiary.com

初見の方、あるいは過去に愛犬を亡くしたことがある、という方は、ご注意ください。

では。



翌朝7時。

ジュニの容態が気になって、ろくに眠れていなかったが、目覚ましが鳴るよりも早く目が覚めてリビングに行くと、父も母も何やら深刻そうに話していた。

父の話では、明け方の5時近く、ジュニが嘔吐したのだという。

昨日から呼吸が苦しそうで、水分以外殆ど口にしていないため、固形物を吐いたわけではないが、それ以降、あれほど激しかった呼吸はすっかり静かになり、身体の力が抜けたようになってしまった、とのことだった。

そっとジュニを触ると、心なしか、いつもより体温が冷たい気がする。

嫌な予感がした。

単に熱が下がった、という割には、ジュニの体がやけにぐったりしているのだ。

いつもなら、母に抱っこされている時も、自分の足で踏ん張り、両前足を肩にかけてくるのだが、今回は明らかに違う。

両手足の力がなく、ただ全身を母に預けているだけ。

顔をあげることすらしんどそうだった。

母;「ジュニ?ジュニ!死んじゃだめええええっ‼」

母が、明らかに様子がおかしいジュニの様子に取り乱している。

父も気が気でないようだったが、生憎今日は会社のテレワークで、出勤日に当たっていた。

遅刻寸前のぎりぎりの時間帯までジュニの様子を見、いつものように、「ジュニ、パパ行ってくるぞ」と声をかけて出勤していった。

この時の父は分かっていたんだろうか。

この瞬間が、父と、ジュニの今生の別れになってしまった。

取り乱す母の横で、私は時計の針が8時になったのを確認し、いつもお世話になっている動物病院に電話をかけた。

診療開始は9時からだが、事前に病院内の掃除、消毒などの関係で、スタッフさん達が8時ごろからいるのは分かっていたからだ。

繋がった電話を取ってくれたのは、幸いにも主治医のT先生だった。

ジュニの容態を説明し、診療時間前だけれど、至急診てもらえないか、と伝えると、すぐに連れてきてください、とのことだったので、私はすぐにタクシーを手配し、着替えを済ませて母と一緒に動物病院へ急行した。

タクシーの中でも、ほんの1週間前なら、「ママ!お姉ちゃん!僕お外が見たいよ、出してよ!」とクインクイン鳴いていたのに、今日はずっと、キャリーバッグの中でぐったりと伏せたまま、起き上がる様子もない。

これはおかしい。

私の頭の中で、警告めいたものがよぎった。

動物病院に着くと、既にT先生が手配してくれていたのか、すぐに診療室に通された。

キャリーバッグの中でぐったりしているジュニの様子を診て、T先生の顔が明らかに曇った。

一瞬で良くない状況を察したんだろう。

レントゲンと、血液検査をするので、お待ちください、と言われ、待合室で待つこと、10分程度。

再び診察室に入った私達に告げられたのは、辛い現実だった。

T先生;「結論から言ってしまいますと、はっきり言ってジュニちゃんの容態は悪いです。今日が山場だと思ってください」

言われることは覚悟していた。けれど、一気に体の奥底が冷えたのを自覚せずにはいられなかった。

T先生が、ジュニの容態を「悪い」と判断した材料は2つあった。

1つ目が、ジュニのレントゲン写真。

ほんの2日前、ジュニの呼吸数が早くなり、診療時間外に診てもらった時に撮ってもらったものとは異なり、肺の辺りに、広範囲にわたって白い影が映っていた。

これは、ジュニが明らかに重い肺炎症状を起こしていることを指していた。

そしてもう1つが、血液検査の結果。

ほんの3日前、3回目の抗がん剤投与の前に行った血液検査と比較すると、

WBC (白血球数):38.0 → 159.0 (基準値内だが、大幅増加)
GOT (肝機能) :17.0 → 114.0 (基準値上限を大幅に逸脱)
GPT (肝機能) :72.0 → 85.0 (基準値上限を逸脱)
ALP (肝機能) :575 → 655 (基準値上限を逸脱)
BUN (腎機能) :25.3 → 89.2 (基準値上限を大幅に逸脱)
CRE (腎機能) :0.62 → 4.42 (基準値上限を大幅に逸脱)
CRP (急性炎症) :<0.9 → 17.8 (基準値上限を大幅に逸脱)

どこにも、いい要素が見当たらない。

たった3日の間に、こんなにも、ジュニの容態は悪化してしまった。

2日前の夜は、まだ、そんな予断を許さないような、切迫した状態ではなかったのに。

なんで、こんな、急に。

頭が追い付いていかなかった。

T先生の話では、今日1日、持ちこたえられれば回復の見込みが見えてくる、とのことだった。

ただ、そのためには入院しなければならない。

万一、持ちこたえられそうにない場合は、すぐにでも連絡するが、最悪の場合、死に目に立ち会えない可能性もある。

T先生:「どう、なさいますか?」

万一の場合は、私達が到着するまでの間、延命措置である心臓マッサージなどをして、時間を稼ぐことはできる、と説明されたものの、それは母が拒否した。

心臓マッサージは、される側がとても痛くて苦しい思いをするものだから、そんな辛い思いをジュニにしてほしくない、という母の決断だった。

結果、私と母は、一縷の望みをかけて、ジュニを託すことにした。

ただ、万一のことを考えて、一旦家に引き上げる前に、個室のジュニに面会することにした。

いつも入院する時に入っている個室ケージではなく、肺に炎症があって、思うように呼吸ができないワンちゃん用に作られた、高濃度酸素が供給されるケージに入っていたジュニは、既に前足に点滴をされ、ケージの奥の方に大人しく座っていた。

けれど、面会に来た私達を見つけると、さっきまで力なく座っていた様子とは違って、そっと立ち上がり、こちらに向かって歩み寄ってきた。

私:「ジュニちゃん、お姉ちゃんだよ。また、夜に迎えにくるからね。一緒に帰ろうね」

ケージに取り付けられた穴から両腕を入れて、ジュニの頭から背中をそっと撫でてやる。

ジュニの顔を両手で包み、擦ってやると、いつものように気持ちよさそうに目を細めてくれた。

ただ、ケージに遮られて、いつものように、ジュニの大きな黒い鼻に自分の鼻をくっつけてあげられない。

それが、無性に悲しくて、寂しくて、たまらなかった。

これが、最後になるかもしれないのに。

それが、とてつもなく怖くて、中々手が離せなかった。

そんな私の後ろで、母はずっと泣いていた。

私が「母さんの番だよ」と言って代ろうとすると、頑なに首を横に振るばかり。

もし今、ジュニに声を掛けたら、撫でてあげてしまったら、ジュニが死んでしまう、そう思っていたのかもしれない。

母としては、「ジュニは絶対帰ってくるから、今、声かけたりしなくても大丈夫だから…!」と必死に自分に言い聞かせていたんだろう。

けれど、もしこのままジュニが亡くなってしまったら、絶対母は後悔する。

何であの時、声をかけてあげなかったんだろう、何で、撫でてあげなかったんだろう、って、絶対に自分を責め続ける。

そう思った私は、あえて母に言った。

私:「ジュニ、立って母さんのこと探してるよ、ほら」

そっと背中を支えてケージの方に押し出すと、母に気付いたジュニがやはり鼻をケージの傍に近づけてきた。

家を出た時とは違い、わずかではあるが、立って、歩いている。

その姿に、少し勇気づけられたのか、母はようやくケージに手を伸ばし、ジュニを撫でた。

母:「ジュニ、ママ待ってるからね。帰ってきてね…っ!」

この時、ジュニはどう思っていたんだろう、と今でも思う。

これ以上ここにいても、出来ることはない、あとは、希望を信じて待つしかない。

ジュニ、またあとで迎えに来るからね。一緒に帰って、パパのお出迎えしようね。

そう告げて、後ろ髪を引かれる思いで、私と母は退室した。

姿が見えなくなるその瞬間まで、私はジュニの目を見つめ、手を振り続けた。

私と母が退室するまでに掛かった時間は、おそらく10分かそこら。

けれど、この時のことは、忘れようとしても忘れられるはずがない。

これが、私達と、ジュニの今生の別れになってしまったからだ。