【ジュニの闘病1か月の記録】ジュニ、天国へ~後編~
皆さん、こんばんは。
歩です。
ゴールデンウィークも折り返し地点だというのに、中々気候が安定しませんね。
急に曇ってきたかと思ったら、土砂降りの大雨、雷、そして突然ピタッと止まる、こんな様子を一日に数回繰り返しているので、気圧による頭痛を起こしやすい私にとっては、きついことこの上ない…
早いところ、穏やかな天気に戻ってほしい所です。
さて、前回の記事では、ジュニが「今日が山場」と言われ、一縷の望みを託して、ジュニを入院させたところまでお話ししました。
本日は、その続き、いよいよジュニの命の灯が消え、天国へ旅立った時のことを書いていきます。
当時の感情を思い出して、特に後半は乱文になっているので、ご容赦ください。
初見の方、過去に愛犬を亡くされたことのある方は、ご注意ください。
では。
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ジュニを病院に預けて帰宅したのは、まだ11時前くらいだったと記憶している。
朝早く、朝食も取らず、着替えだけして出て行ったものだから、カーテンも閉め切ったままで、それだけ余裕がなかったのが、後からもありありと分かる有様だった。
帰宅してすぐ、私は父に電話して、状況を伝えた。
ジュニの状態は、血液、肺ともかなり悪く、今日が山場であるということ、
現在、病院で、高濃度酸素で満たされたケージの中に入っていること、
最悪を覚悟しないといけない状態であり、もしかしたら死に目に会えないかもしれない、ということ…
要点だけ絞って伝えようとすると、改めてジュニの容態が深刻であることが分かって、どうしても声が震えるのが止められなかった。
その後、万一病院からコールがあった場合、すぐに気付けるように着信音を最大に設定し直し、私と母は、ただひたすらジュニが無事に帰宅できることを願いながら、まんじりともできずに、時間が過ぎるのを待つしかなかった。
そして、お昼過ぎ13時頃。
望まない電話がかかってきてしまった。
発信先を見た母は悲鳴を上げ、「やだ、やだ、やだ!ジュニっ‼」と叫び、受話器を取ることができずにいた。
私は母にすぐ出かけられるように、タクシーの手配を別途してくれるよう頼み、代わりに受話器を取った。
相手は、T先生だった。
T先生;
「ジュニちゃんの容態ですが、数分前から大きく痙攣しだして、かなり危ない状態です。すぐに病院のほうに来られますか?」
その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に、先代ナナが逝った時の記憶がよぎった。
ナナも亡くなる直前、大きな痙攣をしていた、と母が言っていたことがある。
これは、もう…
私は目を閉じて深呼吸した。
T先生に、すぐに母と向かいます、と告げ、電話を切ると、貴重品だけ持って、私達は家を飛び出した。
けれど、待ち合わせに指定した近くの公園で待つこと、10分経っても、中々タクシーが来ない。
いつもなら、10分以内に来るのに。
今は、1分1秒でも惜しいのに。
ジュニが待ってるのに。
何で、こんな肝心な時に限って、早く来ないんだろう…!
母はいても立ってもいられない様子で、少しでも、手配したタクシーが見つけられるように、バス通りの方へと歩いて行った。
私も急いて急いて仕方がなかったが、黙って待つことに耐えられなかったんだろう、気付いたら、再び父の職場の番号に電話をかけていた。
電話に出た父に、
- 先程T先生から、「危ないので、来てください」との電話があったこと、
- 今から母と二人で行くけれど、最悪ジュニの死に目に間に合わないかもしれないこと
- それでも、ちゃんと家にジュニを連れて帰ること
を告げた。
父:
「分かった。病院に到着して、どんな形でもいいからジュニを引き取って帰る段階になったら、また連絡をくれ」
父は、私からの電話を受ける前に、もうジュニに生きて会うことはできない、と半ば覚悟を決めていたようだった。
それくらい、静かな声だった。
電話を切った直後、ようやくタクシーが到着した。
ここから、動物病院までは約10分。
それまで、ジュニの命はもってくれるだろうか。
私:
(ジュニ、待ってて。お姉ちゃんとママ、今行くから。1人で、逝かないで。
神様…‼)
隣で震えている母の手を握りながら、私は必死で祈っていた。
もう助からないなら、せめて最期の瞬間には寄り添ってあげたい。
T先生達がいるとはいえ、全員は揃っていなくても、ジュニの家族として、見送ってあげたい。
だから、ジュニ、まだ逝かないで。
信号待ちの瞬間を、あんなにじれったく、もどかしく思ったことはない。
折しも、この日は曇りがちで、小雨が降ったり止んだりを繰り返していた関係で、結構車の出が多く、いつもは空いている道でも所々渋滞が発生していた。
何で、よりによってこんな時に…!
やっとのことで病院に到着して病院に駆け込むと、私達の顔を見た受付のスタッフさんがすぐにT先生を呼びに行き、私達は個室に通された。
何とか、間に合ったんだろうか?
そう思った次の瞬間、個室に入ってきたT先生は、申し訳なさげに頭を下げた。
T先生:「ジュニちゃんの心臓が、今しがた止まりました…」
一瞬、何を言われたのか、分からなかった。
ジュニの心臓が、止まった…?
T先生:
「本当に、つい今しがたです。ご家族の皆さんが到着された直後でした…
お会いになりますよね…?」
母:「…連れてきてください、お願いします…」
母の言葉に、T先生が頷いて出ていくのを、私は、ただ茫然と見ていることしかできなかった。
正直、この時の記憶はあいまいで、私自身はっきり覚えていない。
唯一覚えていたのは、激しい自責と後悔の念だけだ。
間に合わなかった。
ジュニを、たった1人で逝かせてしまった。
家で見送ることは叶わずとも、少なくとも私と母は、最期の瞬間を看取ってあげたかったのに。
ちゃんとジュニの顔を見て、最後には
「家に来てくれて、一緒に楽しい時間を過ごしてくれて、ありがとう。大好きだよ」って伝えてあげたかったのに。
それなのに…!!
お別れの言葉さえ、かけてあげられなかった。
ジュニに、最期の最期家族の顔を見られないまま逝って、寂しい思いをさせちゃったんじゃないのか?
こんなことなら、病院近くのホテルを取って、そこで待機していればよかった。
そうすれば、せめて、ジュニをたった一人で逝かせることなんて、なかったのに!!
T先生がジュニを連れて戻ってくるまでのほんの数分の間、ただひたすら自問自答を繰り返していたような気がする。
ドアが開いて、抱っこされたジュニを見た瞬間、私は無意識に手を伸ばし、ジュニの名を呼んでいた。
私;「ジュニ!お姉ちゃんだよ…本当に、よく、頑張ったね…っ」
T先生;「本当に、つい今しがただったんです。だから、まだ身体も…」
T先生はその先の言葉が続けられなかったようだったけれど、私にはT先生が言わんとすることが分かっていた。
抱っこしたジュニの体は、まだ温かく、柔らかかった。
本当はまだ生きているんじゃないか、と思えるほどに。
けれど、もう腕の中のジュニは、呼吸はしていない。
私の呼びかけに答えることもない。
この温もりも、あと数10分もすれば冷たくなってしまうし、同時に硬直していってしまうだろう。
まだ、ジュニの温もりが感じられるうちに、と私は、母にジュニを抱っこして渡した。
母;
「ジュニ!ジュニ、ごめんね!ママが、もっと早く、ジュニのリンパ腫に気付いてあげられてたら、こんな苦しい思い、しなくてよかったのに‼」
母はもう、ジュニの身体を抱きしめて、むせび泣くことしかできない状態だった。
2020年7月14日 ジュニ 永眠
私にとって、2人目の弟が逝ってしまった日だった。