お姉ちゃん、遊ぼ~弟は、フワフワ甘えんぼのビションフリーゼ~

30年以上ビションフリーゼと過ごしてきた回顧録です。日々の記録に加え、病院やトリミングなど、その他もろもろについて、情報交換がてら交流を持てたらいいな、と思っています。

【愛犬のお葬式】告別式を終えて

皆さん、こんばんは。

歩です。

 

相変わらずの亀更新にも関わらず、読みに来てくださっている方、ありがとうございます。

中々返信を返せずにいますが、皆様からの温かいコメントは全て目を通しております。

 

ここのところ、夏バテと暑さによる寝不足で疲労が蓄積していたらしく、ついに一昨日体調不良でダウンしました…。

新型コロナじゃなくて良かったです。

皆様も体調のほう、お気を付けください。

新型コロナから身を守るためにも、当面は引きこもり生活続けます。

幸いにも、仕事は7割がたリモートなので、そこだけはありがたいと思っている今日この頃です。

 

さて、間が空いてしまいましたが、前回まで、我が家の愛犬、ジュニのお通夜と告別式の様子を書いてきました。

lymphoma.hatenadiary.com

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今回はその後、告別式を終えた後のことを、少しだけ書こうと思います。

心情的に辛い、と思われる方は、ご注意ください。

では。

ジュニの火葬が始まって、お坊さんによるお経が終わった後。

お骨上げまでは約1時間ほどかかる、というので、私達はHさんの車で近くにあるペット霊園の社務所で休ませてもらうことになった。

 

パンフレットで見てはいたものの、実際にペット霊園というものを目にしたことがなかった私は、率直に言って、到着した時には驚いた。

 

霊園にある石碑は、軽く見積もっても数100は見え、それぞれに名前が刻まれている。

周りにはお花や写真が並べられ、定期的に手入れがされているのが少し見ただけでも分かった。

 

霊園の一番高い丘の上には、霊園に眠る多くの動物たちを見守っているかのように、大きな金色の阿弥陀像が立っている。

静かで、多くの動物たちとその家族の思い出が温かく眠る場所。

そんな霊園だった。

 

霊園のすぐ傍の社務所では、亡くなった愛犬や愛猫のためのグッズが色々販売されていた。

骨壺をいれる袋や、位牌、写真立て、お線香などなど…。

両親が、ジュニのお骨が入った骨壺の袋をどれにするか相談しているのを聞きながら、私は、先代ナナを火葬した時のことが思い出していた。

 

15年前のあの当時としては、ナナにはやれるだけのことはやった。

けれど、お通夜や告別式なんかなかったし、ジュニみたいに棺にも入っていなかった。

 だからなのかもしれない。

 

私; 

「ねえ、ジュニの位牌もそうだけど、ナナの位牌も新調しよう。

あのままじゃ、ナナが拗ねちゃうよ。僕の時には、こんなのなかったよ…って」

 

ナナの位牌は、当時としては珍しく、ペットの永代供養を行ってくれていたお寺のお坊さんに作っていただいたもので、白木のものだった。

もう15年も前なので、すっかり色は褪せてきたものの、今も大事にとってある。

 

ただ、Hさん曰く、白木の位牌は、あくまでも正式な位牌ができるまでの仮のもの。

位牌は、天国へ逝った魂が家族の元に帰ってくるための、目印や玄関口みたいなものなのなので、ちゃんとしたものを用意してあげたほうがいい、とアドバイスを頂いたこともあり、私達は、ナナとジュニ、2人の位牌を新たに新調した。

 

完成は1週間後。

それまでは、ジュニもナナと同様、白木の位牌を通して、魂として家に帰ってくる形になる。

新しい位牌ができるまで、ナナ、ジュニ、もう少し待っててね。

 

そう思った。

 

それから約40分後。

ジュニの火葬が終わった、との連絡を受け、私達は再び火葬場へと戻った。

お骨上げのためだ。

 

Hさんに案内されて、ジュニのお骨を見た時、正直もっと、激しく取り乱すかと思ったけれど、この時の心境は、ただただ静かだったのを覚えている。

 

最初に母、次に父、最後に私の順で、一つずつ説明してもらいながら、お箸でつまんで丁寧に骨壺に入れていった。

 

ジュニの骨は綺麗だった。

リンパ腫に蝕まれていたとは思えないくらい、歯も爪も、関節をつなぐ細かい部分も、全てが目視ではっきり確認でき、お箸でつまんでも分かるくらい、しっかり芯が残っていた。

 

 

身体の基礎は、しっかりできていたんだな…道理で、足腰が丈夫な子だったはずだ。

先代のナナ以上にジャンプ力があって、お散歩も毎日30分は行かないと気が済まないくらい、元気な時は活発な子だった。

抗がん剤投与による経過観察中、T先生に、「散歩は控えるように」と言われていた為に、あまり散歩に行けず、少し不満そうにしていたくらいだ。

治っていれば、きっと今頃はまた、「お散歩連れて行って!」とせがんでいただろうに…その姿も、もう記憶の中でしかない。

 

骨壺に綺麗に全てのお骨を入れて、白地の袋に入れた後、私がジュニの遺影、母がお骨を持つ形で、私達はHさんに車で家まで送ってもらった。

 

前日に、お通夜のために持ってきてもらった祭壇セットは1週間貸し出ししてくれるという。

回収にくる時に、ジュニとナナの位牌を持ってきてくれる、というので、私達はお言葉に甘えることにした。

 

ジュニ、お疲れ様。

お骨だけになってしまったジュニに、私はそう呼びかけた。

後は、49日と100日と…その先は、どうなるのか、どうしていくのか、まるで見当がつかないけれど…とりあえず、私達がすべき、ジュニのお葬式は、これで、ちゃんとしてあげられた。

 

これは、1つの区切り。

また、明日から新たな日常が始まる。

今までとは違う、ジュニのいない日々が。

明日になったら、また折り鶴を折ろう。

ジュニへの供養を込めて。

そう思った。