お姉ちゃん、遊ぼ~弟は、フワフワ甘えんぼのビションフリーゼ~

30年以上ビションフリーゼと過ごしてきた回顧録です。日々の記録に加え、病院やトリミングなど、その他もろもろについて、情報交換がてら交流を持てたらいいな、と思っています。

【四十九日前:愛犬ロスの私達と、母からの提案】

皆さん、こんばんは。

歩です。

 

ここ数日、急に寒くなってきましたね。

わが家でも暖房器具や防寒着を引っ張り出してきています。

 

ただ、エアコンの暖房機能が根っから苦手な私は、ひざ掛けとハロゲンヒーターを愛用しています。

思えば、ナナもジュニもそうでした。

 

皆さんのところはいかがですか?

新形コロナの変異株、オミクロン株の世界的流行が始まっていますので、変わらず感染対策を徹底しつつ、身体に気を付けていきましょう。

 

さて、本日からは先週の記事でちらっと書いた、

lymphoma.hatenadiary.com

新しいビションフリーゼの子犬を迎え入れる決断をした経緯について、お話ししていきたいと思います。

 

多少時間軸が前後してしまいますが、事の始まりは、ジュニが虹の橋を渡り、まだ四十九日を迎えていない頃まで遡ります。

 

では、どうぞ。

ジュニのお葬式を終えて、数週間。

未だに、我が家ではジュニのいない生活に慣れないままだった。

 

ジュニが使っていたごはん皿、水飲み器、お気に入りの洋服、リード、キャリーケース…家の中のどこを見ても、ジュニの面影が色濃く残るものが目に映る。

 

外に行けば、尻尾を立てて嬉しそうに散歩していたジュニの姿が思い浮かぶ。

 

その度に、ジュニがもういない、という事実を改めて認識して、涙ぐむ日々ばかりだった。

 

母は、何とか四十九日を迎えるまでは…と、必死に堪えているようだったし、

父も、お散歩やお風呂、休日のお昼寝など、ジュニと触れ合う当たり前の時間が失われたためか、明らかに見た目が老けてしまった。

 

私も、当時は転職活動の真っ最中だったのだが、もはや面接対策とか、履歴書の改訂などに取り組む気力もなく、ジュニに供えるお花を買いに行ったり、折り鶴を作ったり、ブログにジュニとの日々を書き起こしたり、と、ジュニとの思い出を振り返る時間を過ごしていた気がする。

 

趣味の一つである、youtubeでの動物チャンネル視聴なども、全く観る気が湧かなかった。

観ると、どうしても

「動画の中の子と変わらない年なのに、何でジュニは逝っちゃったの?」

「こんな風に、お散歩!ってはしゃげる程、回復してたのに、何であんな事に?」

と、答えのあるはずのない問いが胸の中に渦巻いて、辛くなってしまうのが分かっていたからだった。

 

けれど、買い物などで外出して、他のワンちゃんや猫ちゃんに会うと、

「可愛いな」

「ワンちゃんや猫ちゃんのいる生活っていいな」

と思ってしまう。

 

当たり前だ。

わが家はもう30年以上、ビションフリーゼと過ごしてきた。

 

最初はナナ、そして次がジュニ。

 

ジュニが虹の橋を渡り、「ビションフリーゼと、家族として過ごす時間がない」ことが、たまらなく寂しい。

 

そんな風に思っていた、ある日のこと。

母から、こんな提案をされた。

 

母;

「ジュニの一周忌が終わってからでいいんだけれど…3代目のビションを迎えない?