お姉ちゃん、遊ぼ~弟は、フワフワ甘えんぼのビションフリーゼ~

30年以上ビションフリーゼと過ごしてきた回顧録です。日々の記録に加え、病院やトリミングなど、その他もろもろについて、情報交換がてら交流を持てたらいいな、と思っています。

1/2 羽田空港における衝突事故で失われた2つの命…奇跡なんて起こってない

ご挨拶の前に

能登半島地震および津波で被災された方々にお見舞い申し上げます。

一日も早い復帰が叶いますよう、心から祈っております。

 

 

皆さま、お久しぶりです。

歩です。

 

長らくブログをほったらかしにしてしまい、大変申し訳ありません。

就業先が移転し、通勤時間が2時間越えとなってしまっい、休日すら体力回復のために休むことが多く、ブログの更新時間が取れませんでした。

 

この度転職し、同時にしばらく体力回復に努める期間があったことから、ようやく身辺周りが落ち着き、こうしてブログを更新できる時間が取れました。

 

おかげさまで、一昨年我が家に迎えた3代目の子犬はすっかり成長し、今や立派な成犬となっています。

こちらについても、少しでも書いていこうとしていながら、気が付けばあっという間に時間が過ぎ、全く更新できず…。

 

これから少しずつアップしていきますね。

 

さて、今回久しぶりの更新となったわけですが、今回久しぶりに記事を書いたのは、能登半島地震のショックの最中、立て続けにおきた羽田空港での日航機と海保機の衝突事故の件です。

 

多くのメディアでは、乗客は全員無事で、奇跡の脱出だと報道されている中、私は炎に包まれていく日航機を見て、真っ先に思いました。

 

「どうか、あの機体の中に、ペットがいませんように!」

 

あの炎の中で、狭いケージの中で逃げられないまま、炎と煙にまかれて、恐怖のまま、失われていく命がありませんように…!

とひたすら願い、その夜はまんじりともせず、落ち着かない時間を過ごしていました。

 

しかし残念ながら、結果として2件のペットの預かりがあったこと、そしてその救出は叶わなかったことは、既に報道にあった通りです。

 

そのため、「奇跡の脱出」という言葉で報道するメディアに、私は著しい疑問を抱きました。

 

「失われた命は、2つあったのに、奇跡って何?」

 

そう思って、ずっともやもやしていました。

この事故で亡くなったペットとそのご家族に対して、あまりにも無神経ではないかと思いました。

 

もし自分がその立場だったら、死に物狂いでも機内に戻って、家族を助け出そうとしたに決まってる。

もし自分のペットがそこにいたら、助けを求めて必死に叫んだかもしれない。

閉じ込められているケージから必死に逃げ出そうと暴れたかもしれない。

貨物室に流れてくる煙で苦しくて、たまらなかったかもしれない。

 

そう思ったら、ペットを亡くした飼い主の方々の心情が計り知れず、本当に気の毒でなりません。

 

それなのに、「奇跡」って?

ペットも全て無事で、初めて奇跡でしょう?

この事故で、奇跡なんて起こってない。

 

この事故がもし、動物園に輸送するための、動物輸送専用の飛行機で起こっていたら?

そして、動物が乗っていた飛行機が炎上したら、やっぱり動物を置いていくの?

メディアは、「悲劇」として取り上げるの?

それなら、今回失われた二つの命は、「悲劇」じゃないの?

 

奇跡の脱出、この報道自体が、ペットを家族として接する全ての人に対して、「人間 > ペットである」という価値観そのものをぶつけているような気がしてなりません。

 

どうか、この事故でペットを亡くされたご家族に、少しでも寄り添って。

寄り添うだけでなく、深く考えて、言葉を選んで報道してほしい。

 

今回の事故で、亡くなったペット達に、心からのお悔やみを申し上げます。

 

ジュニの遺骨をどうするのか?~ついに迎えた、四十九日~

皆さん、こんにちは。

歩です。

 

本日は久々にブログの更新をする時間と気力がありまして、ほぼ半年ぶりになるジュニと私達家族の出来事を遡る形での手記を書いていこうと思います。

 

本日は、前回の記事の内容から数週間後の出来事、ついにジュニが虹の橋を渡ってから迎えた四十九日後の出来事について、書いていきます。

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よろしければ、下記にお進みください。

9月某日

ついに、ジュニが虹の橋を渡ってから四十九日が過ぎた。

 

ジュニの葬儀を担当してくれたHさんからは、もしジュニの遺骨を納骨堂に収めるのならば、連絡をくれれば対応してくれる、と言われている。

ただ、私も両親も、ジュニの遺骨を正直納骨する気にはなれなかった。

 

リビングの真ん中、こたつテーブルの上に静置してあるジュニの遺骨。

ジュニが虹の橋を渡っていってしまってからしばらくは、私も家族も相当に落ち込んで、ただただ時間だけが過ぎていくのを待つだけの日々を過ごしていた。

 

ジュニの葬儀を終えて、ようやく気持ちの中で一区切りがつき、ジュニの遺骨を持ち帰ってから、四十九日を迎える今日まで、遺骨に向かって、

 

「ジュニは、朝起きてくると必ず、おはよう、って言いにきたね」

「この時間は、決まってソファのあそこで寝ていたね」

「これは、ジュニの好物だったね」

 

とジュニとの多くの記憶を思い出しながら、話しかける日が続いていた。

そんなことを繰り返していたからかもしれない。

ジュニの姿がない現実に落ち込んで、涙することが少しずつ減ってきていた。

 

今思うと、遺骨になってしまったけれど、こうして話しかけていれば、ジュニは姿が見えないだけで、いつも傍にいてくれているんだ、と感じていたのだろう。

 

けれど、四十九日を迎えた今、ジュニの遺骨は納骨堂に収めるべきなのだろうか?

 

「ジュニがまだここにいる、そんな気持ちにさせてくれた拠り所であるジュニの遺骨、それが、明日から自宅にない」

 

そんなことを想像したら、急に胸が苦しくなった。

奇しくも、ここ数週間、ジュニの魂の気配を感じることが多くなっていた母と私にとって、ジュニの遺骨を自宅ではないどこかに持っていくこと自体、苦痛だった。

ダメだ。

そんなことをしたら、またジュニが騒ぐ。

「僕はここにいるよ!みんなと一緒にいたい!他のところになんか置かないで!!」

って、きっと言う。

そんな確信があった。

 

結果、家族内で話し合い、ジュニの遺骨はそのまま自宅に置いておくことにした。

どこか、自宅の一角にジュニの遺骨を置く区画を作って、そこを綺麗に飾ってあげたりするようにしよう、と話がまとまった。

 

葬儀を担当してくれたHさんにその旨を電話で報告すると、快く了承してくれた。

Hさん:

「実際、四十九日を迎えたけれどとても納骨なんてできない、自分が死ぬときに一緒にお墓に入れてもらう、という方が最近増えてきています。

愛犬の遺骨に対して、納骨するか、自宅に置いておかれるかは、それぞれのご家族さまの心情にそった形が一番ですので、こうするのが正解、というのはありません。

ご家族様が、ジュニちゃんの遺骨を置いておきたいと思われるのなら、それが一番いいことです。

だから、安心してくださいね」

 

Hさんの言葉にまた涙ぐんでしまった。

良かった。

ジュニ、これからもずっと一緒だからね。

生存報告~ご無沙汰しております。

皆さま、ご無沙汰しております。

歩です。

 

とんと音沙汰なくて、申し訳ありません。

実は12月に引越しを実施したのに加え、仕事が多忙、家族の体調不良による看護疲れで、この3か月近く、完全にダウンしておりました。

 

勤務先と話し合って、週2日でのリモートワークになったこともあり、ようやくブログを書くくらいの体力気力が戻りました。

 

長らく間をおいてしまったことで、ご心配おかけしているかもしれませんが、とりあえず生存報告をさせていただきます。

 

昨年夏に迎えた新たなビションフリーゼの子犬も、今やもう成犬の大きさにまで成長し、毎日家で元気に遊んで、食べて、ぐーたらして…と活発に過ごしております。

少しずつ更新していきますので、楽しみにしていてください。

 

今後ともよろしくお願いいたします。

新たな子犬を迎えるのか?周囲に感じるジュニの気配③

皆さん、お久しぶりです!

歩です。

 

前回の更新から既に2カ月近くも更新せず、完全放置状態でした。

私事ですが、前回新たに子犬を我が家に迎えてから、プライベートも仕事もダブルパンチで劇的に忙しくなってしまい、休日は完全に休息を取らないと倒れかねない状態になっていた為、ブログの更新にかける時間が取れませんでした。

読者の皆様にはお待たせする形になってしまい、申し訳ないです。

 

今月の中旬になって、ようやく仕事の方に数人ヘルプが入ってくれることになり、仕事の負担がいくらか分散されたため、本日久しぶりのブログ更新となります。

 

今回は、下の記事の続き

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私が、身の回りで何となくジュニの気配を感じ始めたあとに起こった出来事を書いていきたいと思います。

ご興味のある方は、下からどうぞ。

ジュニと思われる気配を感じながらも眠りについた日の翌朝。私は改めて、昨晩の出来事について思い返していた。

 

ジュニの四十九日を迎えるまでの間、私は実は全く仕事をしていなかった。

 

本来は、3月末で仕事をやめ、2カ月あまりの有休消化期間中に次の転職先が決まる予定だったのだが、そこへまさかの新型コロナの緊急事態宣言の発令。

 

当然、その影響は転職市場にも及び、当時私が希望していた求人が急遽クローズ、または、採用人数を大幅に削ったりなどしていた関係で、結果は全滅。

 

応募業界を変えて改めて挑戦しようと思っていた矢先、ジュニの容態が悪化し、全く転職活動が手につかなくなってしまった、という状況だった。

 

最低限、転職サイトの求人情報の確認と、エージェントさんとの連絡は取りながらも、日々ジュニとの思い出を振り返りながらも、悲しみと向き合いながら過ごしていた最中、前回の記事の書いたような不思議な出来事が起こったのだった。

 

夜中に瞬間的に感じた、普段家の中で嗅ぐことのない強烈な甘酸っぱい匂いと、私のベットの急激な冷たさ。

どう考えても、今まで身の回りで起こった事象ではない。

やっぱり、ジュニなんじゃないか?

そんな考えがぬぐい切れなかった私は、母に相談してみることにした。

 

母は、生まれつき霊感が鋭いらしく、祖母が亡くなった時も、お通夜の時に祖母が見えると言って、会食の席から飛び出していったり、先代のナナが亡くなった時も、しばしばナナが家に帰ってきている、と言うことがあった。

もしかしたら、ジュニは母にもっと明らかなメッセージを送っているかもしれない。

そう思って、昼近くになってやっと起き出してきた母に、私は夕べのことを説明した。

すると、母の返答は予想通りのものだった。

 

母:「実はね、母さんも同じよう現象を感じていたの。

今、歩が言ったような、果実のような甘酸っぱい匂いが強烈にすることもあるし、

台所で夕飯作っていると、突然床が冷たくなったり、

あとはお風呂に入っていると何もしていないのに、急に蓋から水滴がポタポタとすごい勢いで垂れてきたり…

とにかく、そんな風にあれ?と感じる時は、必ずジュニの気配を感じるのよ」

 

やっぱり…母のほうが、私が気付かなかったジュニの気配を感じ取っていたようだ。

母娘揃って同じような現象を、違うタイミングで体験している。

母は、続けてこんなことも話してくれた。

 

母:「ジュニが虹の橋を渡った日の夜、ジュニは怒って家の中で暴れてたの。

ママもパパもお姉ちゃんも皆泣いてる。

違うよ、僕は元気になって、みんなのところに帰るはずだったんだ!

まだ行きたくないよ!

って…あの時はショックすぎてお母さん、分からなかったんだけどね…。

ジュニにとって、あの日、病院に行って、いつものように元気になって帰ってくるはずだったのに、それができなかったから、悔しくて悲しくて、たまらなかったみたい。

それもあってなのかな、最近は少し落ち着いたけど、よく家に帰ってきているよ」

 

その話を聞いて、私はまた泣いてしまった。

そうか、ジュニはまだまだ生きて一緒にいたいと思ってくれていたんだ。

やっぱり、余命宣言をされたあの時、抗がん剤治療を断らなくて良かった。

でも、それでもダメだったんだ…

 

元気になって帰ってくるつもりだったのに、それができなかったこと

ジュニはどれだけ悔しかったんだろう。どれだけ、寂しくて、悲しかったんだろう。

 

そう思ったら、たとえ目に見えなくても、魂の形でもいい。

ジュニ、家にいつでも帰っておいで。

 

心からそう思った。

「速報」我が家に、新たなビションフリーゼの子犬がやってきました!

皆さん、ご無沙汰しております。

歩です。

 

本日は、速報という形で皆さんにお知らせしたいことがあります。

 

とうとう、我が家に3人目の弟となる、新たなビションフリーゼの子犬がやってきました!

ブリーダーさんの元から引き取ってくるのに大移動したので、心身ともども疲れ切ってしまったのですが、道中とても大人しくて、お世話になった公共交通機関のスタッフさんや、一緒に乗り合わせたお客さん達からも、

「いい子ですね!」

と声をかけてもらえるほどでした。

 

自宅に連れて帰ってきてからは、元々の性格なのか、好奇心旺盛で早速部屋中を探検して回っており、目が離せないほど活発になっています。

 

ジュニが虹の橋を渡ってからおよそ2年近く、一緒にワンちゃんと過ごす、という感覚が薄れかけていた私達家族にとっては、とても懐かしい既視感と共に、また新たにこの子と過ごす長い時間が始まったのだ、と実感しております。

 

これから少しずつ、新しく来たビションフリーゼの子犬との日常もアップしていきますので、よろしくお願いします!!

新たな子犬を迎えるのか?周囲に感じるジュニの気配②

皆さん、お久しぶりです!

歩です。

 

一ヶ月に一回あるかないかの亀更新のブログで、読者の皆様をお待たせしてしまって申し訳ありません。

 

前回、速報として新たな子犬を迎えることになった、と皆様にお知らせしたと思いますが、この間、そのビションフリーゼの子犬に会うために、母と共にブリーダーさんのもとに行ってきました!

小さくて、白くて、フワフワで、そして何よりもこの時期にしか見られない子犬そのものの可愛い姿に、私も母もメロメロでした。

 

おまけに、ブリーダーさん宅にいた、沢山のビションフリーゼのワンちゃん達!

みんな可愛くて、人懐こくて、「いらっしゃい!遊んで!」のウェルカムモードに、私も母も終始振り回されましたが、本当に久しぶりに癒されました。

 

そして、今後の手続きや、ブリーダーさんからのアドバイスなども頂き、今度ブリーダーさん宅にお伺いする時は、その新たな子犬を引き取って帰ってくる、という算段まで整い、現在我が家はその準備にてんやわんや中でございます。

 

そんな嬉しい知らせに沸いている我が家ですが、この新しい子犬を迎え入れるにあたって、どうしても書いておかなければならないのが、2年前に虹の橋を渡ったジュニのこと。

 

実は、この子犬の引き取りは、ジュニと私達の間でまだ続いている物語に関係しております。

ジュニと私達の物語が続いていなければ、新たな子犬を迎える、という話はおそらくなかっただろうね、と母とも話しております。

 

今日は、前々回に引き続き、その物語の続きを書いていきたいと思います。

 

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ちょっとそういうのは…と思う方は、読み飛ばしていただいて構いません。

では、どうぞ。

ジュニが虹の橋を渡ってから暫く。

ジュニの葬儀を終えて、四十九日を迎える前までの日々、私の生活リズムは完全に崩れてしまっていた。

 

この日も、真夜中を過ぎた午前2時半頃に、急に目が冴えてしまい、取り合えず水でも飲もうと台所に向かった。

ジュニのお骨はリビングの真ん中にある、こたつテーブルの上に鎮座された状態で納められている。

母の意向もあり、ジュニが虹の橋を渡って以来、我が家では家族全員が寝静まった後でも、ジュニの遺骨や位牌があるリビングは消灯せず、つけっ放しにしているため、真夜中でも明るい。

 

コップ一杯の水を飲みほして、葬儀を担当してくれた方曰く、「魂の出入り口」となる位牌に向かって、何とはなしに、「ジュニ、お姉ちゃん、まだまだ寂しいよ…」と話しかけた。

目を閉じて、脳裏でいつも尻尾を振って甘えてきたジュニの姿をしっかりと思い描いて気持ちを落ち着けた後、ようやく私はベッドへ戻ろうと立ち上がった。

 

そんなに長くはない廊下を、自室へと向かって歩いていくと、突然、背後からビュン、と何か空気の塊のようなものが通り抜けたのを感じた。

それと同時に、瞬間的ではあったが、普段家の中では嗅いだ試しがない、独特な匂いが漂った。

廊下においてある消臭剤や、台所や洗面所にあるような石鹸や洗剤のような匂いでもない。

どこか、濃密で、甘酸っぱい匂いだった。

 

「え…!?」

 

思わず立ち止まって周囲を見回したけれど、何も変わったところはない。

けれど肩口に感じた、何か風を切るような感覚と、瞬間的に感じた強烈な匂い。

 

今まで一度も、こんな感覚を感じたことはない。

一体、何だったんだろう…?

不思議に思いながらも部屋に戻り、再びベッドに横になろうとして…飛び上がった。

 

冷たい。目が覚めて起き上がった時と比べて、ベッドがものすごく冷たいのだ。

季節は真夏の熱帯夜、そして今エアコンは切ってある。

氷のようにベッドが冷えることなど、物理的に考えてもあり得ない。

 

「もしかして…ジュニ、なの?」

 

当然答えはない。

けれど、この時、私は不思議と、ジュニが魂となって私のベッドに上がり込んで、傍にいる、と感じられた。

 

そのためか、妙に安堵して、その日はぐっすり眠れたのを、よく覚えている。

「速報」新たな子犬の誕生~待ちわびた奇跡~

皆さん、こんにちは.

歩です。

 

相変わらずの亀更新で申し訳ありません。

ここのところ、各地への出張が相次ぎ、中々ブログの更新に時間が取れずにおりました。

ですが、そんな中、私達がずっと心待ちにしていた出来事が起こりました。

 

新たに迎える男の子の子犬が、ついに誕生したと、先日ブリーダーさんから連絡があったのです!

早ければ、8月末にブリーダーさんから引き取る形になります。

 

ブリーダーさんから既に写真や動画などを頂き、今後も2日に1回の割合でデータを送って下さるとのことで、離れていても成長を見守れる、ということもあり、一気に新たな子犬を迎える準備を進めることになります。

 

今後は、ジュニとの回想記に加え、この新たに迎え入れる子犬との物語も書癒えていくことになると思います。

 

皆さま、今後ともよろしくお願いいたします。

新たな子犬を迎えるのか?周囲に感じるジュニの気配①

皆さん、お久しぶりです!

歩です。

 

長らくブログのほう、更新ができていなくて済みません。

 

実は再び転職いたしまして、それに伴う前職での引継ぎと、現職への入社手続き、そして、現職での通勤時間が約2時間になってしまった関係で体力的にきつく、中々ブログを更新する時間が取れませんでした。

 

ただ、現職での仕事は元々私の畑に近い分野で、ずっと前から私が携わってみたい、と思っていた内容だったので、仕事自体には非常にやりがいがあるものです。

もう少し、時間のやりくりなどができるようになったら、こんなに時間を空けずに更新していきたいと思っておりますので、皆様今後ともよろしくお願いいたします。

 

さて、前回は、母の「新しい子犬を迎えたい」という気持ちを聞いた上で、私自身も賛同しつつも、安易に決断はできない、と迷っていたところまでお話ししました。

 

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とはいえ、私自身が迷っていたのは、もう1つ、別の理由があります。

それは、ジュニが虹の橋を渡ってから暫くの間、私も母も周囲でジュニの気配を感じることが多々あったから、というものです。

今回はそのことについて、少し掘り下げて書こうと思っています。

そんなバカな、と思われる方も当然いらっしゃると思うので、そういったものに抵抗のある方は、読み飛ばしてくださいませ。

では、どうぞ。

ジュニが虹の橋を渡った日の夜。

 

私も両親もショックで各々自室に籠り、横になってはいたものの到底寝付くことはできなかった。

けれど、やはり疲れには勝てず、知らず知らずうとうとして、喉の渇きから目が覚めた深夜2時頃のことだった。

 

起き上がって目覚まし時計の傍にあるペットボトルの水を取ろうとしたのだが…左腕が上がらない。

右腕や下半身は問題ないのに、左腕だけが指先は動かせるものの、なぜか力を込めても全然動かせないのだ。

おまけに、左腕のある場所がやたらと周囲に比べて冷たい。

真夏の熱帯夜、エアコンも既にスリープモードで少し蒸し暑いくらいの部屋なのに、その部分だけまるで氷のような冷たさだった。

一体どうしたんだろう…。

 

良く分からないまま、何とか右腕を伸ばしてペットボトルを手に取った途端、急に左腕が軽くなり、持ち上げることができた。

けれど、先程まで私が左腕を置いていた場所は依然として冷たいままだ。

水分補給して一息ついた私は、その冷たさが妙に心地よく、すぐに眠りに落ちてしまった。

 

その翌日。

ジュニに供えるお花の買い出しや、遺影などお葬式の手配などを済ませて、一休みしていた黄昏時のことだった。

自室でぼんやりしていた私の耳に、突然カリカリ、とドアを爪で引っかくような音が飛び込んできた。

思わずハッとして振り返ってしまった。

 

その音は、よくジュニが私の部屋に入りたい時、

「お姉ちゃん、開けて!」

という意思表示で、よく前足の片方でドアを引っかいていた時のものとそっくりだったのだ。

 

まさか、そんな訳ない…そう思いつつ、反射的に私はドアを開けてしまった。

当然、そこにジュニの姿があるはずがない。

でも、確かにあの音は空耳などではなかった。

 

私「ジュニなの…?」

 

思わず自室の中を私は見回した。

あるのはいつもと変わらない、私の部屋。

けれど、ふといつも使っているベッドを見た時、思い当たったことがあった。

 

未明に左腕が上がらなくなり、とても冷たく感じたベッドの一角。

あの場所は、私の部屋に出入りしていたジュニがお昼寝する際、必ず陣取るお気に入りの場所だった。

そして、たまに私の左腕を枕にしてしまうこともあり、そんな時は、私はいつもジュニを起こさないように左腕を引き抜こうとして、結局失敗していた。

 

もしかして、未明にジュニは霊魂という形で私の傍にいたんじゃないのか。

そんな考えがふと頭をよぎった。

 

この時だけなら、そんなのただの偶然だよ、と周囲に言われても納得したと思う。

けれどこれ以降、私は何度も「あれ?」と思うような現象に遭遇することになった。

 

 

 

 

【新たな子犬を迎えたい~私の迷い】

皆さん、こんにちは。

歩です。

 

皆さん、こんばんは!

 

相変わらずの亀更新で済みません。

実は、また転職することになりました。

先月は、その一次面接と最終面接の準備に追われていたことと、現職に新人さんが入ってきたことによる引継ぎやサポートに時間がとられていた為、中々ブログを更新する時間が取れませんでした。

 

いつも読んでくださっている読者の方々、本当にお礼申し上げます。

 

ここ数日、春一番らしく風が吹くわ、花粉の飛散情報が出るわ、一気に春が近い感じになりましたね。

気候の変わり目ですので、お体に気を付けて、そして新型コロナ感染にも負けず、過ごしていってください。

 

さて、前回までは、母が新たなビションフリーゼの子犬を迎えたいといったこと、そう思うに至った背景にある、ナナとジュニへの母の後悔について書きました。

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今回は、その話を受けて私が感じたことについて、振り返って書いていきたいと思います。

では、どうぞ。

母の後悔について、私は否定も肯定もしなかった。

正直に言うと、私自身、ナナやジュニに対して

「至らなかったな」「もっとこうしてあげたかったな」

と思う部分は少なからずあったからだ。

 

そうだね、と肯定してしまえば、それは母を余計に追い詰めてしまうことになるし、違うよ、と安易に否定したところで、上っ面でしかない。

 

愛犬を亡くした後、その悲しみを中々乗り越えられない人も少なくはない、と聞いている。

母も紛れもなく、その内の1人だ。

先代ナナが亡くなった後、すぐにジュニを迎える方向に動いたのも、新たな子犬を迎えることで悲しみを癒そうとした結果なのだろうと思う。

その時は猛烈に反発した私だったが、不思議と今回は腹は立たなかった。

母が、当時の私の気持ちを理解してくれたこと、そして私自身も母の気持ちを理解できるようになっていたことが大きく働いていたのだろうと思う。

 

ただ、母の気持ちや考えが理解できることと、新たな子犬を迎えること話は別のように感じた。

 

両親は既に60代後半に差し掛かっている。

当然、飼い主の年齢上限に引っかかってくるので、飼い主は娘の私になる。

そして、次に迎える子が寿命を迎えるころは、両親がかなりの高齢になっていることが予想されるのだ。

その時、私はともかく、私が仕事などで不在の時に、ちゃんと両親にその子の面倒を見ることができるのか。

 

一度、家族として迎え入れた以上は、何があっても最後まで責任を取って面倒をみる。

 

わが家での無意識の鉄則だ。

面倒を見られなくなったからといって、譲渡したり、捨てたりするなど、絶対にあってはいけない。

最後まで面倒を見切れる自信がないのなら、寧ろ飼うべきではない。

 

そして、今の状況で、私達にそれが可能なのだろうか?

安易に決断を下すのを避けるために、私は母にこう返事をした。

 

私;

「お母さんの気持ちも分かる。

正直、私も寂しいから新しい子を迎えたいという気持ちもある。

だけど、それで新しい子を迎えた後、最後までナナやジュニにしてあげたように面倒を見られる自信、ある?

私は年齢的に問題ないだろうけれど、母さんも父さんも、段々きつくなってくると思うよ。

経済的にも体力手にも。

今みたいに、身体がしんどいから休む、とか、病院が怖いから行きたくないから、とか言ってられないよ。

お金が足りなかったら、それこそ在宅ワークでもポイ活でも何でもして、節約するとかしないといけないよ。

今まで回れ右してきたこと、全部取り組まないといけない。

基本的には私が飼い主という形になるけれど、私だって仕事があるから、ずっと一緒にはいられない。

私がいない時にはどうしたって、母さんと父さんにメインに面倒を見てもらうことになる。

そんな時、2人が倒れたりするようなことがあったらダメなんだよ。

今、私が言ったこと、きちんと向き合って行動していく覚悟はある?」

 

正直、ジュニを亡くして傷心状態の母には、かなりきつい言葉かもしれない、という自覚はあった。

けれど、3人目の家族として新たなビションフリーゼを迎えるにあたっては、

・年齢(体力面)   ・経済力(ご飯や病院やトリミング等の必要経費)

の二つは、現実問題として直視しておかなければいけないと私は思っている。

 

父は、

「父さんはもう体力的にかなりきつくなっている部分もあるからな…

でも、次に飼うなら猫でもいいな」

と言っており、次の子を迎えるにあたっての問題点をきちんと認識していた。

 

けれど、母はまだそこまで考えが至っていなかったようだった。

 

母;

「そう、だね…お母さん、ちょっとそこまで考えていなかった。

歩の言ったこと、大事なことだね」

 

歩;

「お母さんの気持ちも分かるよ。

新しい子犬を迎えてもいいかな、って気持ちは私の中にもある。

でも、そのためには私も母さんも父さんも、覚悟して取り組まなきゃいけないことがある。

だから、よく考えて。

よく考えた上で、母さんがどうしても新たな子を迎えたい、というなら、私も頑張るから」

 

新たな子犬を迎えたい、その気持ちは嘘じゃない。

でも、安易に迎えないためには、私達全員の覚悟と決意を固める必要がある。

だから、真剣に考えてほしい。

 

そんな私の迷いを、母は今度はちゃんと受け止めてくれていた。

 

【新たな子犬を迎えたい~母の後悔:To ジュニ】

皆さん、こんにちは。

歩です。

 

新春の挨拶をしてから、ほぼ丸1か月、更新もせずに放置状態になっておりました…

職場で急遽チームメンバーが休職したり、繁忙期なのに余計な仕事を追加されたりなどで、私自身ストレスMAXな状態が続いてしまい、中々こちらに手がつけられずにいました。

 

おまけに年明け早々にあった数年ぶりの大雪で、外ですっ転んで腰を強打してしまい、ちょっとぎっくり腰気味であまりPCに長く座ってられなかったのです…。

幸い、着用していたコートがうまくクッションになってくれたのと、転倒した場所が広い歩道だったため、そこまで大事に至りませんでした

皆さん、本当に積雪後の路面凍結には気を付けてくださいね!

 

さて、前回は、ジュニの葬儀を終えて四十九日を迎えるまでの間、母が先代の愛犬、ナナに対して抱いていた後悔について書きました。

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今回は、母がジュニに対して抱いていた後悔についてお話していきたいと思います。

では、どうぞ。

母が、3代目のビションを迎えたい、と言った理由は2つある。

1つは、当たり前にあったジュニの存在がなくなり、そこかしこに残るジュニとの思い出を振り返るうちに、寂しさがつのり、新たな家族を迎えたくなったから。

そして、もう1つが、「生前のジュニに対する後悔」だった。

 

子犬だったジュニを我が家に迎えた当初、私達の心のどこかには

「ジュニも、ナナと同じように接していれば大丈夫」という思いがあった。

 

ジュニが我が家にやってきたのは、ナナの時よりも17年以上も後。

それだけの時間が経っていれば、日本におけるペットに対する意識改革や、ペット業界に対しても色々進展があってもおかしくないのに、当時の私達はそういったことに目を向けていなかった。

 

またビションフリーゼと一緒に過ごせる時間が増えた。

そのことに舞い上がってしまっていたと思う。

 

勿論、何もしなかったわけではない。

ジュニのご飯やトイレ、しつけ、動物病院やトリミングなど、基本的なことは全部やった。

ナナと一緒に過ごしていた時にお世話になった先生から教えてもらったことなども、全部反映した。

 

けれど、圧倒的に欠けていたのは、インターネット普及が爆発的に進んだこの時に、簡単にワンちゃんと一緒に過ごすことについての情報が得られるにも関わらず、積極的に情報を得ようとしなかったこと。

そして、その情報を知っても、今までのやり方にこだわるあまり、新しいやり方について中々踏み出そうとしなかったこと。

 

この二つだった。

 

例えば、ジュニのご飯。

母の手作りトッピング(カボチャ、サツマイモ、ブロッコリーの茎など)を加えるベースに使っていたのが、ドラッグストアやペットショップで買える安価なドッグフードだったこと。

 

ジュニは、その安価なドッグフードに含まれる物質のアレルギー症状が強く、一時期全身の皮膚が赤く、フケが大量に発生するなど、毛艶も悪いといった状態が長く続いたことがあった。

あの子も、全身が痒いとよく足で掻いたり、全身を擦り付けたり、噛んだりすることが多く、私達も頻繁にトリミングに連れて行ったが、一向に状態がよくならなかった。

 

この頃には、コストが高いけれど安全で良質なドッグフードの紹介が、web上で多くされていたというのに、私達はそのことを知りもしなかった。

 

更に、病院。

 

以前、動物病院を選ぶにあたって、「こんな病院はダメだ!」と私が感じたエピソードを記載したことがあるが、

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その病院の先生が、

・薬を出しておきます

・もっとひどい子もいます

・症状が悪くなったら来てください

何を言っても、その場その場での凌ぎ治療、薬漬け療法で、ナナを担当してくださった動物病院とはだいぶ方針が違う。

そのことに違和感を感じながらも、もっといい病院を探そう、病院を変えようとしなかったこと。

 

ペット保険の加入を渋ったこと。

毎日の健康チェックを怠ったこと。

リンパ腫を患っていることに、もっと早く気付いてあげられなかったこと。

 

 

それら全てのことが、ジュニに対する猛烈な後悔として、母の中にあった。

 

母;

「もう一度チャンスがあるなら、ジュニに謝って、やり直したい。

生前、私がきちんとしてあげられなかった部分、全部ちゃんとしてやりたい。

ジュニ、ごめん。本当に、ごめん。お母さんが悪かった…!」

 

こんな風に泣いてジュニに詫びる母の姿を、この頃何回見たか分からない。

 

そして、母の言葉はそのまま私にもあてはまることだった。

家で一番インターネットに触れる機会があって、ペット保険や、動物病院尾選び方、愛犬のご飯についてなど、様々な情報を得られるチャンスがあったにも関わらず、それをしようとしなかったこと。

そして、情報を得た後も、そのことについて両親に提案しつつも説得までしようとしなかったこと。

 

全てが後手後手だった。

ジュニがアレルギーで苦しんでいた時、もっと自分から調べていたら。

もっと良質なご飯を若いうちからあげていたら。

もっといい病院を早いうちから探せていたら。

ペット保険の加入を強く両親に薦めていたら。

ジュニはもう少し、長く生きていられたかもしれないのに。

 

後悔先に立たずとは、まさにこのことだった。