お姉ちゃん、遊ぼ~弟は、フワフワ甘えんぼのビションフリーゼ~

30年以上ビションフリーゼと過ごしてきた回顧録です。日々の記録に加え、病院やトリミングなど、その他もろもろについて、情報交換がてら交流を持てたらいいな、と思っています。

明けましておめでとうございます!

皆さん、新年明けましておめでとうございます。

歩です。

 

昨年はとんでもなく亀更新になってしまったにもかかわらず、気長に読んでくださっている読者の方々、または興味を持って足を運んでいただいた方々、本当にありがとうございました。

 

本当は、一昨日あたりに年末最後の更新を、と思っていたのですが、よりによって今の職場が年末年始が一番忙しいため、ゆっくりブログを更新しているどころではなかったのです…。

 

昨日今日はお休みですが、明日1/2は何と出勤!

 

転職前までは三が日まで普通に休みだったので、内心ガクブルです。

おまけに、ここ数日がめちゃくちゃ寒い!

 

皆様も新型コロナをはじめ、体調を崩されないよう、どうかお気を付けください。

今年もよろしくお願いいたします。

 

【新たな子犬を迎えたい~母の後悔:To ナナ】

皆さん、こんばんは。

歩です。

 

一気に寒くなりましたね!

将軍様、どうかお手柔らかにお願いします、という感じです。

 

わが家では、クローゼットから急遽真冬用のコートや帽子、手袋などを引っ張り出す羽目になりました…。

 

皆さんのところはいかがですか?

防寒対策しっかりして、冬将軍様に負けないように過ごしていきましょう。

 

さて、先日は、ジュニの葬儀を終えて四十九日を迎えるまでの間、悲しみと向き合いながら過ごしていたある日、母からある提案をされたところまで書きました。

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今回は、その続きです。

では、どうぞ。

「ジュニの一周忌が終わってからでいいんだけれど…3代目のビションを迎えない?」

 

実をいうと、母がこう提案してくるだろうという予感は少しあった。

 

「ビションフリーゼと、家族として過ごす時間がない」ことが寂しい、と感じる以上、「ビションフリーゼを迎えたい」と思うのは普通だ。

 

だから、特段「3代目のビションを…」というのはおかしなことではない。

ただ、少しだけ意外だったのは、「一周忌を終わってから」という言葉が、母の口から出たことだ。

 

実は、ジュニが我が家に来る数か月前、私は母と大喧嘩したことがある。

きっかけは、先代ビションフリーゼ、ナナの死だった。

 

ナナが亡くなってからしばらくして、両親は新しいビションフリーゼの子犬を迎えることを決めていた。

 

私も、自分が幼少期の頃から成人するまでの間、ずっと弟として可愛がってきたナナが虹の橋を渡ってしまったことに、精神的にかなりのダメージを受けてはいたものの、次の子犬を迎えること自体にはそこまで反対ではなかった。

 

問題だったのは、タイミング。

ナナが亡くなったのが、2月中旬。

対して、ジュニがまだブリーダーさんのところでお母さん犬と一緒に過ごしていた頃に、初めて両親と面会したのが、5月のゴールデンウィーク真っ最中。

 

つまり、両親は

「四十九日が過ぎたら、すぐに新しいビションフリーゼの子犬を探そう」

と決めていたのだ。

このことが、私が両親に対して、猛烈な反発心を抱かせることになってしまった。

 

今は、あの頃の両親が「ナナと過ごした時間が大切」だったからこそ、その時間が失われてしまったことが悲しくてたまらず、少しでも早く次のビションフリーゼを迎えることで、「ナナとの時間を振り返りたかった」のだと理解できる。

 

けれど、当時の私の心境は全く逆だった。

むしろ、

「時間をかけて、ゆっくりナナとの思い出を振り返りたい。

次の子を迎えるのは、気持ちの整理がついてからにする」

と思っていた。

 

だから、両親が新たなビションフリーゼを探し始めているのを知った時、別の意味で悲しくなってしまった。

 

私;

(どうして、ナナの話をしないの?どうして、新しく迎える子の話ばかりするの?)

(そんなに早く、ナナと過ごした時間を、過去のことにしようとしないで)

(ナナが、僕のこと忘れちゃうの?って寂しがっちゃうよ)

(ナナを偲ぶ時間を、もう少しちょうだい)

(待って。せめて、ナナの一周忌が過ぎるまで、待って)

(新しく来る子は、ナナの代わりなんかじゃない)

 

心の中で、そんな言葉を何度も何度も叫んでいた。

 

けれど、ビションフリーゼの子犬の情報を見つけては、

「いつ下見に行こうか」「また男の子がいいね」

と、楽しそうに話している両親の顔を見ては、その言葉は言い出せなかった。

 

一方で、両親は私がそんな気持ちでいるとは知らなかったため、度々新しいビションフリーゼの子犬のことについて、私に話そうとしてきた。

それが苦痛で、私はこの当時、家にいる時は殆ど自室に籠り、両親との会話を極力絶っていた。

 

「今、新しい子を迎えたら、本当にナナのことを過去にされてしまうんじゃないか」

 

そんな追い立てられるような気持があった。

 

しかし、とうとうある日、母が

「お父さんが、新しいビションフリーゼの子を迎える話を具体的にしようとしてるのに、その態度は何なの?」

と苦言を呈してきた。

 

その瞬間、今まで抑えてきた色んな感情が爆発し、

「ナナのことを簡単に忘れろ、みたいなこと言わないで!」

みたいなことを怒鳴ってしまい、それが元で大喧嘩に発展してしまったのだった。

 

後になって、父は、新しいビションフリーゼの子の話になると、私の顔色が急に曇り、口数が少なくなることに前々から気付いており、

「もしかして、歩は新しいビションフリーゼを迎えることに反対なのでは?」

と思い、私の気持ちを確認しなければ、と思っていたらしい。

 

しかし、先に母と私との間で大喧嘩が発生し、順番が逆になってしまったのだった。

 

結果的に両親とも、

「ナナのことを忘れたりする筈ない、絶対に。

でもナナがいなくなって、ビションフリーゼがいない時間が、母さんも父さんも辛い。

だから、新しい子を迎えることを許してくれない?」

と話してくれたことで、不安はあったものの、私は新しい子犬、私にとって、2人目の弟となる、ジュニを迎えることを了承したのだった。

 

そんな経緯があったからだったのかもしれない。

 

母;

「今になって、あの時の歩の気持ちが分かる。

ナナが逝っちゃった時、今ジュニに対してやってるように、四十九日までの時間をちゃんと向き合わなかった。

ナナに可哀そうなことしちゃったな、って思うよ」

 

母にとって、「一周忌が終わってから…」というのは、虹の橋を渡ったナナへの、後悔と謝罪からでた言葉だった。

【四十九日前:愛犬ロスの私達と、母からの提案】

皆さん、こんばんは。

歩です。

 

ここ数日、急に寒くなってきましたね。

わが家でも暖房器具や防寒着を引っ張り出してきています。

 

ただ、エアコンの暖房機能が根っから苦手な私は、ひざ掛けとハロゲンヒーターを愛用しています。

思えば、ナナもジュニもそうでした。

 

皆さんのところはいかがですか?

新形コロナの変異株、オミクロン株の世界的流行が始まっていますので、変わらず感染対策を徹底しつつ、身体に気を付けていきましょう。

 

さて、本日からは先週の記事でちらっと書いた、

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新しいビションフリーゼの子犬を迎え入れる決断をした経緯について、お話ししていきたいと思います。

 

多少時間軸が前後してしまいますが、事の始まりは、ジュニが虹の橋を渡り、まだ四十九日を迎えていない頃まで遡ります。

 

では、どうぞ。

ジュニのお葬式を終えて、数週間。

未だに、我が家ではジュニのいない生活に慣れないままだった。

 

ジュニが使っていたごはん皿、水飲み器、お気に入りの洋服、リード、キャリーケース…家の中のどこを見ても、ジュニの面影が色濃く残るものが目に映る。

 

外に行けば、尻尾を立てて嬉しそうに散歩していたジュニの姿が思い浮かぶ。

 

その度に、ジュニがもういない、という事実を改めて認識して、涙ぐむ日々ばかりだった。

 

母は、何とか四十九日を迎えるまでは…と、必死に堪えているようだったし、

父も、お散歩やお風呂、休日のお昼寝など、ジュニと触れ合う当たり前の時間が失われたためか、明らかに見た目が老けてしまった。

 

私も、当時は転職活動の真っ最中だったのだが、もはや面接対策とか、履歴書の改訂などに取り組む気力もなく、ジュニに供えるお花を買いに行ったり、折り鶴を作ったり、ブログにジュニとの日々を書き起こしたり、と、ジュニとの思い出を振り返る時間を過ごしていた気がする。

 

趣味の一つである、youtubeでの動物チャンネル視聴なども、全く観る気が湧かなかった。

観ると、どうしても

「動画の中の子と変わらない年なのに、何でジュニは逝っちゃったの?」

「こんな風に、お散歩!ってはしゃげる程、回復してたのに、何であんな事に?」

と、答えのあるはずのない問いが胸の中に渦巻いて、辛くなってしまうのが分かっていたからだった。

 

けれど、買い物などで外出して、他のワンちゃんや猫ちゃんに会うと、

「可愛いな」

「ワンちゃんや猫ちゃんのいる生活っていいな」

と思ってしまう。

 

当たり前だ。

わが家はもう30年以上、ビションフリーゼと過ごしてきた。

 

最初はナナ、そして次がジュニ。

 

ジュニが虹の橋を渡り、「ビションフリーゼと、家族として過ごす時間がない」ことが、たまらなく寂しい。

 

そんな風に思っていた、ある日のこと。

母から、こんな提案をされた。

 

母;

「ジュニの一周忌が終わってからでいいんだけれど…3代目のビションを迎えない?

ブログ名を変えて、再始動した訳

皆さん、こんばんは。

歩です。

 

中々ブログの更新ができずに、申し訳ありません。

前回の更新から、色々周囲でせわしない出来事が起き、その対応に追われていた為、時間が取れませんでした。

 

ついでに言い訳すると、はてなブログでのカテゴリーの階層化にとても手こずりまして、この間の土日、ようやくカスタマイズで階層化に成功しました!

 

いや~…大変でした…。

 

ブログのデザインなどについても、あーでもない、こーでもないと色々比較検討していた為に、更に時間がかかってしまうといった有様。

とはいえ、やっとこさ改名した新しいブログで、納得できるスタイルのものができました。

 

拍手!!(自分にです)

 

さて、私が今回ブログ名を変えた理由については、過去の記事でも一応簡単にお話しした通りなのですが…

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一番大きな理由は、新しいビションフリーゼの子犬を迎える決心をしたからです!

 

昨年7月に、ジュニが虹の橋を渡ってから、私も家族も、表面上は普通の生活をしながらも、深い喪失感を抱えていました。

それが、今年4月にある転機を迎えたことにより、また少しずつ家庭内の時間が進み始めました。

 

正直、新たなビションフリーゼを迎えるかどうか、これについては家庭内でもかなり考えました。

私自身は、ジュニが逝った後、新たな子犬を迎えることはせず、ジュニと、先代のナナとの思い出を書き起こしながら、保護犬や保護猫の預かりボランティアでもしようかと思っていたくらいです。

 

それが、何故またビションフリーゼの子犬を迎える決断に至ったのか、そして今後どうしていくのかを、これから少しずつアップしていきたいと思っています。

ブログ名、変えました!今後ともよろしくお願いします。

皆さん、こんにちは。

歩です。

 

珍しく昼間にブログを更新しています。

と、いうのも…

以前予告した、ブログのタイトルをやっとこさ更新したからです‼

 

前回、11月には更新します、とか言っておきながらこんなに遅くなったのは、

これまでリモートだった仕事を完全出勤に切り替えたこと、そしてそのタイミングで仕事が大量に入ってくるようになったことで急激に忙しくなり、中々ブログを更新することができずにいたからです。

お待たせしました…。

 

実は、タイトル名と、新ブログの骨子は早々に決まったものの、はてなブログにおけるカテゴリーの階層化に未だに手こずっておりまして、思いのほか時間がかかってしまいました。

まだひそかに悪戦苦闘中ですが、後々しっかりカテゴライズして、皆様にも見やすいようにしていきますので、気長にお付き合いいただけると嬉しいです。

 

今後の大まかなカテゴライズとしては、

  • 日記(ジュニのこと、日々雑多)
  • 回顧録(ナナ、ジュニ)
  • 愛犬たちの食生活
  • 愛犬たちのケア

と、この4つの項目で、後は階層化していこうと思っております。

私自身が、ナナ、ジュニと過ごした日々のことを忘れないための記録をつけておきたいことと、

愛犬たちとの生活で疑問に思ったこと、知りたいことなどを共有できればいいなと思ったこと、

主にこの二つをメインに書いていく予定ですので、皆様、今後ともよろしくお願いいたします。

【皆様へお知らせ】ブログ名を近々変えます!

皆さん、こんばんは。

歩です。

 

秋分の日も過ぎたというのに、中々涼しくならないですね~。

唯一の救いは新型コロナの感染者数が減って、緊急事態宣言が明けたことくらいでしょうか。

ただ、何がきっかけで感染者数が減ったのか、特定には至っていないようなので、皆さん引き続き、マスク、手洗いなど、感染対策を徹底して、新型コロナにかからないよう、注意していきましょう。

 

さて、タイトルにありますように、近々、ブログのタイトルを変えようと思っています。

というのも、ブログを立ち上げた当初、私の頭の中にあったコンセプトとしては、

 

  • 余命宣告を受けた家族の心境
  • 闘病生活記録
  • リンパ腫についての詳細

 

など、タイトルである「リンパ腫と診断された後、抗がん剤治療と向き合った記録」をメインにした形で続けていこうと思っていました。

 

そして、同じようにリンパ腫との闘病生活をしている方々の支えや、予防に役立つことができれば、という思いで、快方に向かっていたジュニの記録を書き進めていこうとしていた矢先、容態が急変したジュニは、虹の橋を渡っていってしまいました。

 

それ以後、私のブログのメインは、ジュニが虹の橋を渡る直前辺りまでの詳細や、葬儀のこと、あとはジュニの供養についてなどを記載していることが多く、タイトルと記事の内容がかみ合っていないな、と思うようになりました。

 

そこで、遅くとも来月には、このブログ名を変えようと決めました!

タイトルは、「お姉ちゃん、遊ぼ~弟は、フワフワ甘えんぼのビションフリーゼ~

 

昨年7月中旬に虹の橋を渡ってしまったジュニですが、実は現在進行形で、ジュニと私達家族の物語は続いています。

 

その経過も後々、新タイトルブログの元で更新していきますので、読者の皆さん、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 

許すまじ!悪徳ブリーダーの無責任な多頭飼育崩壊

皆さん、こんばんは。

歩です。

 

実は先週から、遅めの夏季休暇を取得しておりました。

とはいえ、まだワクチン未接種の身としては、どこかに外出するのは躊躇われるので、大人しく家でDVD見たり、ヨガやったり、1人カラオケの練習したり、と引きこもり生活ど真ん中で過ごしています…。

世の中は台風と新型コロナのダブルパンチですね。

ようやく新型コロナの新規感染者数が減ってきたとはいえ、まだまだ油断ならない状況、皆さんも引き続き感染には十分にお気を付けください。

 

さて、今日記事を書いたのは、数日前、あるニュースを目にしたことがきっかけです。

そのニュースとは…「長野県松本市の悪質ペット業者に家宅捜査」

 

警察に情報提供があり、動物愛護管理法違反の疑いで家宅捜査されたというそのペット業者は、前々から指導が入ったり、虐待が色濃く疑われていたらしいのですが、実態が明らかになってくるにつれ、

 

  • 保健所に「2つの施設で600匹」と届けていたが、実は「1000匹近く」だった
  • 麻酔なしで、帝王切開手術をしていた
  • 一生ケージ内で過ごしていたワンちゃんもいた

 

等々、目をそむけたくなるような酷い事実が次々と報道されていました。

その惨状たるや、獣医師に「災害級の動物虐待」と言わしめたほどです。

 

そのニュースを見た時、私と母はショックで、しばらく気分が落ち込むほどでした。

そんな劣悪な環境で生きてきたワンちゃん達が負ったであろう、身体的、そして何より精神的な傷を思うと、胸が張り裂けそうで、たまりませんでした。

 

前にも、新型コロナの流行で、安易な気持ちでワンちゃんや猫ちゃんを家族に迎えたけれど、

  • 「やっぱりお金が掛かるからいらない」
  • 「子供が飽きたからいらない」
  • 「手間が掛かるからいらない」

と、無責任極まりない飼い主が増えている、という記事を書きましたが、

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今回のニュースは、その内容をはるかに凌駕する、まさに地獄絵図を思わせるような衝撃的なものばかりです。

 

特に耳を疑ったのは、無麻酔・無資格で連日帝王切開を行っていた、という証言。

何で、こんな酷いことができるんでしょうか?

 

出産は、母体にも、そして生まれてくる赤ちゃんたちにとっても、命がけであることは、最早医療従事者のみならず、多くの人たちが周知のとおりです。

それは、人間だろうが、ワンちゃん猫ちゃんだろうが、その他の動物たちであろうが、同じです。

帝王切開は、自然分娩では危ない、と診断された時の最後の手段。

それでも、母体、胎児ともに大きな負担がかかるから、最大限にケアしてあげるべきなのに、

「無資格」の人間が、「麻酔無し」で帝王切開を「連日」?

 

ふざけるな!!!!! 

 

と、声を大にして、叫びたかったです。

人間でいえば、自分の腹を、他人がいきなり包丁などで切り裂いているようなもの。

こんなことをすれば、「痛い」なんてレベルじゃありません、下手したら普通に「死」に決まっています。

そんなことも、このペット業者は想像できなかったのでしょうか?

それとも、相手が「人間」じゃないから、「犬」だから、どうでもいい、とでも思っていたのでしょうか?

 

いずれにしても、最早、人間ではなく、悪魔の所業だと思いました。

 

捨て犬や捨て猫などの保護活動や、飼育崩壊、飼育放棄に対する意識が高まり、テレビやCMなどで取り上げられる機会が多くなったとはいえ、摘発されるのはまだまだ氷山の一角なのでしょう。

 

ヨーロッパやアメリカからみれば、日本は、「ペットに関しては、三流国家」と言われている。

その意味が、事実として突きつけられているようなこのニュース。

 

日本が、一刻も早く、こんな不幸な目にあうワンちゃんや猫ちゃんたちを始めとする多くの動物たちに優しい国になれるよう、心から祈ると同時に、今回、保護されたワンちゃん、そして摘発前に移送されたと思われるワンちゃん、全てのワンちゃん達の悲しみと痛みが、少しでも癒されてほしいと思っています。

 

ジュニの一周忌を迎えて

皆さん、こんばんは。

歩です。

 

新形コロナのデルタ株の感染者が増加の一途をたどっていますね。

私の職場でも、ご家族に新型コロナウイルスの陽性反応が出たという方が何名かいらっしゃって、じわじわとその脅威が迫りつつあるようで、空恐ろしいものを感じています。

皆さんは、ワクチン接種は完了しましたか?

まだの方も、接種済みの方も、基本的な対策を忘れず、感染予防に努めていきましょうね。

 

さて、これまでのブログ記事を通して、私の愛犬であり、弟でもあるジュニが、リンパ腫と診断され、1か月の闘病生活の甲斐なく急逝し、お葬式を上げたところまでの全ての過程を書き上げました。

 

そして、気付いたらこのブログを始めて1年以上…それは同時に、ジュニの一周忌を迎えたことにもなります。

 

前回のブログ記事を書いてから、これまでに書いてきた記事を読み返してきましたが、正直、ジュニの四十九日を迎えるまでの記憶がかなり曖昧で、あの頃どう過ごしていたのか、はっきり思い出せずにいます。

 

この当時、私は転職活動中だったにもかかわらず、ジュニの急逝に対するショックが大きすぎて心身に変調をきたし、ほぼ1か月半近く一時的に転職活動を休止してしまうほどでした。

 

辛うじて思い出せるのは、ジュニに供えるお花を定期的に購入していたこと。

ジュニとナナの写真が、2人そろって飾れる写真立てを購入したこと。

スマホやカメラを起動して、その中に収めていたジュニの写真や動画を繰り返し見ていたこと。

ジュニの闘病生活を、記憶が薄れていく前に少しでも記録に残しておかなければ、という思いで、ブログを書いていたこと。

両親と、ジュニが来てからの思い出で、

「こんな時、ジュニはこうしていたね」

「いつもならこの時間、ジュニはお昼寝していたね」

「この場所は、お散歩コースでの、ジュニのお気に入りだね」

と、話していたこと。

それ以外のことは、殆ど思い起こせません。

 

今思えば、四十九日は私達家族が、ジュニと過ごした時間を振り返り、懐かしみ、そして、「ジュニが、私達家族と過ごした時間がどれだけ尊いものだったのか」を再認識するために、必要な時間だったのだと思っています。

 

この間、母と昨年の出来事を振り返っていたのですが、母も昨年の今頃、どのように過ごしていたのか、はっきり記憶がないそうです。

 

「四十九日までは…」「秋彼岸までは…」

と、ペット霊園のご供養のお知らせが来るたびに、その一つ一つの区切りまで、何とか頑張ろう、と自分に言い聞かせていた、と言っていました。

 

ジュニが虹の橋を渡ってから、もう1年が経ちますが、今でもジュニのお骨は我が家にあります。

私達家族全員が、お骨だけとはいえジュニの身体だったものが家にない、と考えるのがとても寂しくてたまらない、と感じること、

また、ジュニの葬儀を担当してくれたHさんが、

「無理に納骨堂に収めようとせず、ご家族の皆さんがそうしたい、と決めた時に、

ジュニちゃんのお墓を作って、お骨を収める形でいいですよ。

私が担当したご家族の中にも、そういう方はいらっしゃいますので…」

とアドバイスをくださったこともあっての決断です。

 

明後日は、ジュニの一回忌と秋彼岸法要が行われるので、また行ってきます。

【愛犬のお葬式】告別式を終えて

皆さん、こんばんは。

歩です。

 

相変わらずの亀更新にも関わらず、読みに来てくださっている方、ありがとうございます。

中々返信を返せずにいますが、皆様からの温かいコメントは全て目を通しております。

 

ここのところ、夏バテと暑さによる寝不足で疲労が蓄積していたらしく、ついに一昨日体調不良でダウンしました…。

新型コロナじゃなくて良かったです。

皆様も体調のほう、お気を付けください。

新型コロナから身を守るためにも、当面は引きこもり生活続けます。

幸いにも、仕事は7割がたリモートなので、そこだけはありがたいと思っている今日この頃です。

 

さて、間が空いてしまいましたが、前回まで、我が家の愛犬、ジュニのお通夜と告別式の様子を書いてきました。

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今回はその後、告別式を終えた後のことを、少しだけ書こうと思います。

心情的に辛い、と思われる方は、ご注意ください。

では。

ジュニの火葬が始まって、お坊さんによるお経が終わった後。

お骨上げまでは約1時間ほどかかる、というので、私達はHさんの車で近くにあるペット霊園の社務所で休ませてもらうことになった。

 

パンフレットで見てはいたものの、実際にペット霊園というものを目にしたことがなかった私は、率直に言って、到着した時には驚いた。

 

霊園にある石碑は、軽く見積もっても数100は見え、それぞれに名前が刻まれている。

周りにはお花や写真が並べられ、定期的に手入れがされているのが少し見ただけでも分かった。

 

霊園の一番高い丘の上には、霊園に眠る多くの動物たちを見守っているかのように、大きな金色の阿弥陀像が立っている。

静かで、多くの動物たちとその家族の思い出が温かく眠る場所。

そんな霊園だった。

 

霊園のすぐ傍の社務所では、亡くなった愛犬や愛猫のためのグッズが色々販売されていた。

骨壺をいれる袋や、位牌、写真立て、お線香などなど…。

両親が、ジュニのお骨が入った骨壺の袋をどれにするか相談しているのを聞きながら、私は、先代ナナを火葬した時のことが思い出していた。

 

15年前のあの当時としては、ナナにはやれるだけのことはやった。

けれど、お通夜や告別式なんかなかったし、ジュニみたいに棺にも入っていなかった。

 だからなのかもしれない。

 

私; 

「ねえ、ジュニの位牌もそうだけど、ナナの位牌も新調しよう。

あのままじゃ、ナナが拗ねちゃうよ。僕の時には、こんなのなかったよ…って」

 

ナナの位牌は、当時としては珍しく、ペットの永代供養を行ってくれていたお寺のお坊さんに作っていただいたもので、白木のものだった。

もう15年も前なので、すっかり色は褪せてきたものの、今も大事にとってある。

 

ただ、Hさん曰く、白木の位牌は、あくまでも正式な位牌ができるまでの仮のもの。

位牌は、天国へ逝った魂が家族の元に帰ってくるための、目印や玄関口みたいなものなのなので、ちゃんとしたものを用意してあげたほうがいい、とアドバイスを頂いたこともあり、私達は、ナナとジュニ、2人の位牌を新たに新調した。

 

完成は1週間後。

それまでは、ジュニもナナと同様、白木の位牌を通して、魂として家に帰ってくる形になる。

新しい位牌ができるまで、ナナ、ジュニ、もう少し待っててね。

 

そう思った。

 

それから約40分後。

ジュニの火葬が終わった、との連絡を受け、私達は再び火葬場へと戻った。

お骨上げのためだ。

 

Hさんに案内されて、ジュニのお骨を見た時、正直もっと、激しく取り乱すかと思ったけれど、この時の心境は、ただただ静かだったのを覚えている。

 

最初に母、次に父、最後に私の順で、一つずつ説明してもらいながら、お箸でつまんで丁寧に骨壺に入れていった。

 

ジュニの骨は綺麗だった。

リンパ腫に蝕まれていたとは思えないくらい、歯も爪も、関節をつなぐ細かい部分も、全てが目視ではっきり確認でき、お箸でつまんでも分かるくらい、しっかり芯が残っていた。

 

 

身体の基礎は、しっかりできていたんだな…道理で、足腰が丈夫な子だったはずだ。

先代のナナ以上にジャンプ力があって、お散歩も毎日30分は行かないと気が済まないくらい、元気な時は活発な子だった。

抗がん剤投与による経過観察中、T先生に、「散歩は控えるように」と言われていた為に、あまり散歩に行けず、少し不満そうにしていたくらいだ。

治っていれば、きっと今頃はまた、「お散歩連れて行って!」とせがんでいただろうに…その姿も、もう記憶の中でしかない。

 

骨壺に綺麗に全てのお骨を入れて、白地の袋に入れた後、私がジュニの遺影、母がお骨を持つ形で、私達はHさんに車で家まで送ってもらった。

 

前日に、お通夜のために持ってきてもらった祭壇セットは1週間貸し出ししてくれるという。

回収にくる時に、ジュニとナナの位牌を持ってきてくれる、というので、私達はお言葉に甘えることにした。

 

ジュニ、お疲れ様。

お骨だけになってしまったジュニに、私はそう呼びかけた。

後は、49日と100日と…その先は、どうなるのか、どうしていくのか、まるで見当がつかないけれど…とりあえず、私達がすべき、ジュニのお葬式は、これで、ちゃんとしてあげられた。

 

これは、1つの区切り。

また、明日から新たな日常が始まる。

今までとは違う、ジュニのいない日々が。

明日になったら、また折り鶴を折ろう。

ジュニへの供養を込めて。

そう思った。 

【愛犬のお葬式】ジュニを天国へ送るまで~後編②告別式~

皆さん、こんばんは。

歩です。

 

早いもので世の中は夏休み突入、そしていよいよ東京五輪が始まりましたね。

ただ一方で心配なのが、新型コロナの爆発的感染…こんな状況下で、果たして無事に終わってくれるのか、目下そこを心配している今日この頃です。

 

さて今回は、前回に引き続き、ジュニのお葬式の後半、告別式の様子について書いていきたいと思います。

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愛犬を亡くされた過去のある方には、辛い内容になっているかもしれませんので、ご注意ください。

では、どうぞ。

お通夜を終えた翌日。

予定通り10時に迎えに来たHさんの車に、ジュニの身体が入った棺を乗せ、私達はペット霊園の総本山に向かった。

 

およそ30分後で火葬場に到着し、Hさんが、棺ごとジュニを運び入れると、そこでは既に昨日お通夜に来てくれていたお坊さんが待機していた。

一礼をし、ジュニの遺影を仏壇にセットしてもらう傍ら、私達は、棺の中で眠るジュニの周りにお花を供えた。

カラフルな千羽鶴とお花に包まれると、ジュニの真っ白な毛並みがいっそう引き立って見え、

「ああ、ジュニって、こんなに綺麗な子だったんだな…」と改めて思った。

 

父が、週1でお風呂に入れ、よくブラッシングしてくれていたおかげだった。

まさか、最後にお風呂にいれてあげた直後に、容態が悪化し、その2日後に逝ってしまうなんて、父も思っていなかったに違いない。

この告別式が終わるまでの数日、私や母の前では泣かなかった父だが、夕食後や休日などに、ふらっと1時間ほどいなくなる時があった。

後で知ったことだが、父はこの時、ジュニと毎週行っていた散歩コースを、1人歩きに行っていたのだという。

ジュニの散歩係はいつも父で、もうルーティンとなっていたその外出がなくなってしまったことが、寂しくてたまらなかったんだろう。

 

準備が整い、お坊さんが火葬前の最後のお経を唱え始めても、私にはその声が、ただただ、耳を通り抜けていくだけだった。

いよいよ、これが最期…今世での、ジュニとのお別れの時。

お経が終わり、最後の挨拶をかわす時、私は、棺からジュニの頭だけを持ち上げ、抱き寄せた。

 

「ジュニ、今までありがとう…絶対に、忘れないからね、ジュニのこと…っ!」

 

心の中で、そう叫んだ。

本当は離れたくない。離したくない。

でも、時間は止まってはくれないのだ。

傍で控えていたHさんは、私達家族がそれぞれ最後の挨拶が済むのをじっと待っていてくれた。

 

Hさん;「もう、よろしいのですか?」

母;「はい…済みません、続きを進めてください…」

Hさん;「畏まりました。では、ジュニちゃんの棺、閉めさせていただきますね」

 

ここに来る道中に伺っていた話だと、この後にも4件くらい、告別式の予定が入っているという。

時間的にも押しているようだったのに、

「どうか、こころゆくまで、ジュニちゃんとお話しなさってください」

と、私達を労わってくれた。

本当に、ジュニを見送るにあたって、このペット葬儀業者に頼んでよかったと思った。

 

Hさんの手によって、棺の蓋が閉められ、取り付けられた小窓越しに、ジュニの顔を見つめる。

ありがとう。忘れないよ。

何十、何百と心の中で叫び続け、今この瞬間、ジュニの姿かたちを目に焼き付けておくことに、全神経を注ぐ。

その時間は、おそらく数10秒もなかったはずなのに、時間の流れが止まったかのように感じていたことを、今でも覚えている。

 

そして…気力を振り絞り、1歩。

また1歩と、少しずつ後ろ向きに下がる。

その度に、ジュニの顔は段々遠くなり、見えなくなっていく。

 

(ダメだよ、ジュニを置いていくの?)

(ジュニの傍にいなきゃダメだよ!)

 

そう叫ぶもう1人の自分を必死に抑え込む。

ジュニとの今生の別れの、最後の時間を、1秒1秒、自身の記憶に、心に、刻み付けながら、歩を進め、とうとう私の視界から、ジュニの収められた棺は見えなくなった。

 

 

歯を食いしばり、拳を握りしめて外に出ると、先に出ていた父が待っていた。

これから火葬するにあたって、火入れの瞬間、またお坊さんがお経をあげてくれるので、ここで待っているように、と指示があったという。

最後にジュニとお別れを済ませた母が戻ってきて数分後、Hさんがやってきた。

 

 

Hさん;

「これから、火を入れますので…そろそろ、煙が見えてくると思います。

火が入りましたら、鐘がなりますので、そうしたら、お坊様のほうでお経をあげていただく流れになっております。

ジュニちゃんの魂が天国へ迷わず昇っていけるように、手を合わせてあげてください」

 

ナナの時と違うな、と思った。

ナナの時は、最後の挨拶をした後、何の合図もなく、ただナナが火葬されているであろう場所を見つめながら、火葬が終わったという知らせを境内で待つだけだった。

こうして、火を入れ、ジュニの魂が昇っていく瞬間まで弔いのお経をあげてくださるとは、10数年も経つと変わるもんだな、と他人事のように思う。

 

でも、それでふと気が付いた。

そうだ。向こうには、ナナがいる。

好奇心旺盛で、姉弟して張り合いながら大きくなって、甘えん坊で私達家族が大好きだった私の1人目の弟。

向こうに逝っても、ジュニは1人じゃない。

そう思って少し気が楽になった時、鐘の音が聞こえた。

火入れの合図。ジュニの火葬が始まったのだ。

 

Hさんが手で指示した方向に、煙が上がっていくのが見えた。

今、まさにジュニが火葬され、天国へと魂が還っていっている。

ナナ、どうかジュニを導いて。

お経を唱えてくれているお坊さんの声を聴きながら、私はひたすらに祈っていた。

 

ジュニ、どうか安らかに。

ありがとう、私達の家族になってくれて。

楽しい時間を一杯くれて。

絶対、絶対、忘れないから。

先に向こうに逝ったナナと一緒に、待っててね。

いつか、お姉ちゃんもそっちに逝った時、2人で迎えに来てね。

 

後少しだけ、続きます。