【ジュニの闘病1か月の記録】運命の日~余命宣告を受けて、私達が出した結論~
皆さん、こんばんは。
歩です。
前々回、前回と、我が家の愛犬がリンパ腫と診断され、余命1カ月と宣告されるまでを書きました。
今回は、その診断を受けて、私達が決断するまでの流れについてです。
もし、長文・乱文でお見苦しかったら、読み飛ばしてください。
では。
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ジュニを連れて一足早く帰宅した私は、すぐに仕事中の父に連絡した。
ジュニがリンパ腫にかかっていて、ステージ5というかなり進行した状態であること。
このまま何も治療をしなければ、余命1カ月であること。
抗がん剤治療をすれば、1,2年程度の寿命は確保できる見通しだが、ステージ5の状態から始めると、最初の段階でショック死を起こしてしまう可能性もあること。
抗がん剤治療を行うなら、家族全員の同意が必要であること。
そして、治療を始めるなら一刻も早いほうがいいため、明日の午前中に、病院に方針を電話で伝えることになっていること。
話しているうちに、
「もしかしたら、明日にでもジュニとお別れになってしまうのではないか」
という恐怖が襲ってきて、声が震え、涙が込み上げてくるのを感じた。
詳細を伝え終えると、父は「残業はないから、いつも通りの時間に帰る」と言って、仕事に戻っていった。
その後、遅れて帰ってきた母と私とで、ジュニを抱きしめて泣いた。
母;
「ジュニ、本当に、あと1ヶ月しか生きられないの?お母さん、やだよ!こんな急に、ジュニが死んじゃうなんて嫌だよ‼」
絶叫する母の隣で、私も泣き崩れた。
病院で張りつめていたものが一気に緩んでいくのを感じた。
このままだと、もって1か月。
けれど、治療をするとしたら、最悪、明日にでもジュニは命を落とすかもしれない。
明日の午前中までに結論を出さなくてはならない以上、悩んでいる時間はないと分かっていたが、どうしても今だけは泣かずにはいられなかった。
思えば、ジュニのこの1週間での異常は、視力の急激な低下だけではなかった。
・背骨やあばらの骨が、撫でるだけではっきり分かるくらい急激に痩せてきた。
・後ろ足に力が入らず、まっすぐ歩くことができなくなった。
・食欲がなく、普段の1/3も食べていない。
普段なら、明らかに様子がおかしい、と気づいていたはずだった。
それなのに、目のことばかりに気を取られていて、肝心のあの子の様子に気を配ってやれていなかった。
せめて、もう1週間でも早く、病院に連れてきていたら。
いや、右目に感染症の疑いのある目やにが出始めた頃に、すぐにでも病院で詳しく検査してもらっていたら。
そうしたら、こんなにジュニが弱ることも、副作用によるショック死を覚悟した上での抗がん剤治療などもしなくて良かった。
私が判断を間違えたんだ。全部、私のせいだ・・・!!
そう自分を責めて、責めて、責め続けた。
多分、1時間くらいはそうしていたと思う。
ふと、私達に寄り添っていたジュニが、顔をあげて「クウーン」と鳴いた。
ハッとして顔を上げると、時計の針はもう13時を指していた。
いつもの、ジュニのご飯の時間だ。
母;
「・・・ごめん、ジュニ。お腹、空いたね。お母さん、すぐ用意してあげるね」
母も気が付いたのか、慌てて立ち上がり、台所に向かった。
すぐに、ジュニが立ち上がって後を追いかけようとするので、私も付き添ってリビングに向かった。
目は相変わらず見えていないようだったけど、点眼薬のおかげか少しはましになったようで、自分から歩こうとしている。
そして・・・母が用意したご飯を、2日ぶりに、積極的に食べ始めた。
私;
「ジュニ!良かった・・・っ!」
皮下点滴してもらった影響なんだろうけれど、ここ数日が嘘のように、美味しそうにご飯を食べているジュニの姿に、心から安堵した。
食後に、母に処方された目薬をさしてもらってから、いつものように私のベッドに来てお昼寝するジュニを見て、私はふと、先代の愛犬のことを思った。
ジュニは、我が家では2代目のビションフリーゼになる。
1代目のビションフリーゼ:ナナは、私が幼少期の頃に我が家にやってきて、私とは姉弟として育ってきた。
ナナは、元々後ろ足が弱かった上に心臓の持病を抱えていたが、当時としては長寿の17歳まで生きた。
亡くなる数日前には、「パパ、ママ、姉ちゃん、僕、そろそろ逝くね」といった様子だったナナ。
あの時も散々泣いたけれど、日に日にお別れする時が近付いているという実感があったためか、後悔は不思議となかった。
けれど、今のジュニがこのまま息を引き取ってしまったらどう思うか。
答えは、あっさり出た。
絶対、後悔するに決まってる。
ジュニは、まだ生きる気力を捨ててはいない。
なのに、私達が、もうジュニはいなくなっちゃうんだ、と悲観して、泣いていたらダメじゃないか。
必死にリンパ腫と戦って生きようとしているジュニに対して、一緒に寄り添ってあげる選択をしてあげなきゃいけない。
この時、私の心は決まった。
夜。父が帰宅するのを待って、私は自分の考えを話した。
私;
「抗がん剤治療を受けさせるのは、延命治療になるかもしれないけど、このまま、何もしないでただ弱っていくジュニを見送ったら、私、ずっと後悔する。
だから、希望を信じて、抗がん剤治療をやってもらおうと思ってるんだけど、父さんと母さんは?」
父も母も賛成してくれた。
お世話になっている病院が信頼できると、確信できることもあった。
ジュニがご飯を食べて、お水も飲んで、何より、こうして私達家族の傍にいて甘えようとしてくれている。
まだまだ、生きられるよ、とその体で伝えてくれている。
だから、「奇跡が起こると信じて、抗がん剤治療をする」
私達が下した決断だった。