気が付いたら、あの余命宣告の日から1年…
皆さん、こんばんは。
歩です。
ここ数週間で、何というか一気に暑くなってきましたね。
天候も安定しないというか、乱高下していますし、おかげで身体がついていかず、何気にバテ気味な今日この頃です。
テレワーク環境が整っている転職先であったことを感謝…。
おまけに、国内でインドで猛威を振るっているという、新型コロナの変異株が見つかるなど、中々明るいニュースがありませんね。
唯一の救いは、ワクチン接種でしょうか…オリンピックの開催云々より、正直こっちをもっと早くやってほしかったかな、とも思いますが、こればっかりは文句をいってもしょうがありません。
読者の皆様も、体調にお気をつけてお過ごしください。
さて、今日ブログを書いたのは、何気に母が呟いた一言がきっかけでした。
母;「そういえば、ちょうど去年の今頃だったね。ジュニが余命宣告を受けたのは…」
その言葉に、正直はっとしました。
転職先の慣れない業務に悪戦苦闘する中、毎日ジュニの写真や動画を見返しては、よく思い出話をしていた筈なのに、私達にとっては、戦いの始まりの日となった、あのジュニの余命宣告を受けた日から、もうすぐ1年、という実感がまるでなかったんです。
何回か過去の記事にも書きましたが、ジュニのことに関してだけは、やけに時間がゆっくり流れているような気がして、正直、ジュニが虹の橋を渡ってしまってから、まだ、1年しか経っていないのか…というのが正直な感想です。
先週には、来月は一回忌になるということで、ジュニの火葬や四十九日、秋の彼岸供養などでお世話になっているペット葬儀の方からお知らせの葉書が来ていたにも関わらず、もう10年も昔のことのように思えて仕方がありません。
前回の記事で、ジュニの最期の日のことを書いたせいで、少し当時の心境を思い出して凹んでいたことも影響しているかもしれませんが、ジュニがいない生活が1年続いたことで、私の中で、ジュニに関わる事象だけが、毎日の時間の流れの中で切り離されているような感覚になっている、そんな感じです。
私は、自分が幼少期の時から現在に至るまで、9.5割以上の時間をビションフリーゼと一緒に過ごしてきました。
私が子供から大人にまでの時間は初代のナナ、そしてナナが天国へ逝った後、4カ月ほどして我が家にやってきたジュニが1年前まで一緒でした。
そのせいか、逆にビションフリーゼがいない生活、というのに慣れていないだろうな、と自分で思います。
ついつい、動画サイトやブログなどで、ビションフリーゼを検索しては、
「そういえば、ナナやジュニもこういうことしてたな」
「ナナはこういう子だったけど、ジュニはこういう子だったね」
と家族と話したり、時には1人呟いたり、そんな日々を送ってしまいます。
今後どうしていくかはまだ考え中ですが、とりあえず、来月にあるジュニの1回忌をちゃんと迎えられるようにしていきます。