お姉ちゃん、遊ぼ~弟は、フワフワ甘えんぼのビションフリーゼ~

30年以上ビションフリーゼと過ごしてきた回顧録です。日々の記録に加え、病院やトリミングなど、その他もろもろについて、情報交換がてら交流を持てたらいいな、と思っています。

【ジュニの闘病1か月の記録】容態が急変した日曜日の夜

皆さん、こんばんは。

歩です。

 

ついに、2度目の緊急事態宣言が発令されましたね。

私は、今月4日に初出勤したばかりというのに、会社の方針で8日から在宅ワークになりました。

私を含めた中途採用の新入社員は、全員僅か5日目にして、在宅で研修及び仕事となり、もうてんやわんやでした。

ですが、このご時世、公共交通機関の通勤ラッシュの中出勤しなくてもよいというのは、とても安心できるのでありがたい限りです。

皆さんも、本当に体調にお気をつけてお過ごしください。

 

さて、今回から昨年の7月、3回目の抗がん剤を投与し終わってから、ジュニが天国へ旅立つまでの3日間の記録を書いていきたいと思います。

 

lymphoma.hatenadiary.com

 

字に書き起こすのも辛い部分が多く、書き上げるのにかなり時間がかかってしまいました。

私にとっては、犬である以上に大切な二人目の弟の最期の時間を書いているので、内容を見るのが辛い、という方はどうぞここでお戻りください。

大丈夫という方のみ、下へお進みくださいませ。

では。

3回目の抗がん剤投与を終えた翌日の土曜日。

この日のジュニは、特段いつもと変わったような様子はなかった。

安静時の呼吸数は、平均20回前後、1日3回の体温はいずれも、37.6~37.8℃と平熱、と異常なし、食欲もいつも通りだった。

そのせいもあったかもしれない。

私は、前日帰宅直前に、ジュニが短い間とはいえ、ガクガク痙攣していたことを、一時のことだと思い込み、深く考えもしていなかった。

 

しかし、翌日の日曜日の午後、事態は急変した。

 

この日、ジュニは日課となっているお散歩に、父と共に出かけて行った。

今は、先生から長めの運動は控えるように言われていることもあり、いつもなら40分以上の散歩コースも今は10分程度にショートカットしている。

そして、散歩から帰ってきたら、お風呂に入って、父に体を洗ってもらい、ご褒美のおやつをもらって、夕飯まで私のベッドで寝る、というのが日曜日のルーティンでもあった。

 

散歩に行く直前、帰宅後、そしてお風呂に入っている時。

ジュニの様子はいつもと何も変わらなかった。

 

だが、夕飯までの時間、いつものように私の部屋に来て、ベッドに座り込んだジュニの傍にいった時、私は異常な音を耳にした。

 

ハッ、ハッ、という、やけに早い、断続的な息切れのような音。

 

横に座るジュニは、いつものように横になって足を伸ばしてリラックスするような姿勢ではなく、立った姿勢からそのまま腰を下ろしたような四つん這いの状態で、しかも身体全体で呼吸しているような状態だった。

 

私;「ジュニ!どうしたの、苦しいの?」

 

慌てて、いつものように呼吸数を測ると、1分につき、50回近く息を吐いている。

T先生から教えられた、正常範囲の1分辺りの呼吸数の40回を超えていた。

嫌な予感が全身を駆け巡り、私はリビングにいる両親に向かって叫んだ。

 

私;「ねえ、ジュニの様子がおかしいよ!呼吸数が早いし、苦しそう!」

 

飛んできた両親は、私同様、激しい呼吸をしているジュニを見て顔色を変えた。

母が慌てて、ジュニの体温を測ると、体温は37.6℃と平熱。

とりあえず、発熱はしていないようだったが、油断はできない。

私はすぐに動物病院に連絡した。

電話口に出た主治医のT先生に、ジュニが、急に断続的で速いペースの呼吸をするようになったことを話すと、

「一時的に呼吸が早くなるケースもよくあるので、1時間ほど様子をみて、それでも収まる気配がなければ病院に連れてきてください」

とのことだった。

 

1時間。

どうか、ジュニの呼吸が収まってくれますように。

そう祈りながら、私はジュニの傍についていた。

けれど、この時、脳裏をよぎったのは、一昨日、一瞬とはいえ、ジュニが痙攣をおこしていたこと。

あれは、もしかして今の症状の前兆だったんじゃないか?

このまま、もし、症状が悪化していったら?

時折頭をかすめる最悪の事態を必死で振り払い、ひたすらジュニの背中を撫で、苦しそうな状態が一刻も早く、収まってくれることを願った。

 

けれど、1時間経っても、ジュニの呼吸は早いままだった。

食欲もないらしく、用意した夕ご飯も食べようとしない。

もう居ても立ってもいられず、私は夕食などそっちのけで、母と一緒に、ジュニを動物病院に連れていった。

 

事前連絡をしていたことと、すでに夜間診療の時間だったので、T先生は既に準備を終えて待っていてくれた。

体温、呼吸数、食欲の有無などの問診をし、改めてレントゲンなどの診察を終えた後、T先生は私達を個室に呼んだ。

 

T先生;

「今のところ、命に係わる状態ではなさそうです。

こちら、レントゲン像なのですが、肺の部分も全然黒いままで、炎症を起こしているとみられる白い影も見えないので、先程お電話で伺った呼吸数が早い状態は、肺炎由来ではないと思います。

それと、呼吸数も私のほうで測ってみましたが、今は1分間に32回、一応基準値内にまで収まっています。

体温も平熱なので、症状としては1時的なものであると思われますね」

 

話を聞いて、ほっとした。

最悪の事態には、とりあえず至っていないんだ。

ただ、ジュニの呼吸が早くなってから、既に4時間近く経過している。

このまま放置しておいて大丈夫なんだろうか?と気になり、T先生に伺うと、先生は難しい表情をした。

 

T先生;

「どうしても心配であるなら、今夜このまま引き取ることもできます。

ただ、11時過ぎになってしまうと、宿直のスタッフ以外いなくなってしまうので、もしその間に容態が急変してしまった場合、対処ができなくなってしまう可能性があるんです。

いかがしますか?」

 

私と母は顔を見合わせた。

この動物病院は、365日24時間対応しているとは言えど、やはり夜間の対応は専門の先生もいなくなってしまうため、弱くなってしまう。

そんな状態で、今のジュニを預けて帰るのはどうしても不安だった。

ただでさえ、ジュニはこの病院に入院する際に入る、格子つきの個室が苦手なのだ。

心理的に不安を覚えるような環境で、体調の悪いジュニを置いておきたくない。

そう判断し、私達はジュニを連れて帰宅することにした。

 

いつもと様子が違うとはいえ、急を要する事態ではないのなら、一緒にいてあげることが、ジュニにとって嬉しいことに違いないから。

明日。

明日の朝には、きっとこの呼吸も収まってる。

そうしたら、今日、苦しくて夕飯が食べられなかったから、きっと「お腹空いたよ」って台所でアピールしにくる。

ジュニの好きなもの、用意してあげなきゃ。

いつも通りの日常が、明日には戻ると信じて、帰路についた私達。

 

けれど。

私達の希望を打ち砕くように、翌日の月曜日、事態は更に悪化していったのだった。

明けましておめでとうございます。

皆さん、こんばんは。

歩です。

 

新年のご挨拶が大変遅れまして、失礼いたしました。

 

昨日から転職先への初出勤や、オリエンテーションなどで時間を取られていたため、中々更新することができずにいましたが、何とか無事にこなせています。

 

というより、半年以上に渡る無職生活 (パソコンを使っての在宅アルバイトなどはしていましたが) でずっと家に籠っていたせいか、久しぶりにスーツ着て、早起きして、混んでいる電車に揺られて…のコンボが、ややもすると、きつく感じました。

 

以前なら、こうやって疲れて帰ってきても、「姉ちゃん、お帰り!」と迎えてくれる存在がいました。

 

それが、ジュニです。

 

大抵、私が帰ってきた時はソファで寝ていたジュニですが、母曰く、体内時計がしっかりしていたせいか、私が残業や電車の遅延などによって帰りが遅くなると、

「ママ、姉ちゃん帰ってこないよ?」

といった表情で、玄関や私の部屋の前をうろうろしていることがよくあったそうです。

私が単身1週間以上の海外旅行に出かける時などは、

「おかしい。もう姉ちゃん、帰ってくるはずの時間なのに、帰ってこない。ママ、何で!?」

と言わんばかりに、玄関に居座っていたらしく、その時は、母は苦笑いしながら、

「ジュニ、お姉ちゃん、まだ目的地にも着いていないよ」

と伝えていたそうです。

すると、「そうなんだ」と納得するらしく、私が帰国する前日に、

「ジュニ、お姉ちゃん、明日帰ってくるよ」

と伝えると、途端にそわそわしだす、といったことを繰り返していたよう。

 

本当に、甘えたがりで、そして可愛い私の弟でした。

昨年から続けているジュニのリンパ腫の闘病日記、そして思い出なども含めて今後もブログを続けていく所存ですので、皆様今年もよろしくお願いいたします。

波乱含みの2020年も終わり、そして・・・。

皆さん、こんばんは。

歩です。

 

早いもので、2020年も今日で終わりです。

しかし、今年は世の中にとっても、私にとっても、家族にとっても、様々な意味で波乱含みの1年となりました。

 

私と家族にとって一番大きかったのは、何といってもこのブログを始めるきっかけとなった、愛犬ジュニのリンパ腫発覚と、1か月の闘病の末の急逝でした。

 

去年の今頃、ジュニは定期健診も受けていて、主治医からも「異状なし」と言われており、食欲も旺盛、寒いこの時期は、私の部屋にきて、ハロゲンヒーターの前で私の半纏を自分の下にひいて爆睡しているのが常。

 

晦日の日には、別途私達が用意しておいた、年越し蕎麦ならぬ年越しケーキを夕飯時に平らげて、除夜の鐘が鳴るのを待たずに眠る、というのが、あの子の年越しでした。

 

しかし、今年からもう見られないんだな、というのを実感し、やはりどうしようもなく寂しい気持ちでいっぱいです。

 

現に、一昨日、昨日と家の中の大掃除に専念していた母が、ぽつりと、

「家から、ジュニの痕跡が消えちゃうね・・・」

寂しそうに呟いていました。

 

例年、大掃除が始まると、ジュニは唯一安全な私のベッドの上に避難し、リビングなどの清掃が完全に終わるまで居座るため、私の部屋の大掃除はいつも一番最後に行っていたのですが、今年は一気に終わらせてしまったため、何だか呆気ない気すらしています。

 

ただ、タンスの中にしまっていた、ジュニの10数着以上にも及ぶ服を捨てることは、どうしても私も両親もできませんでした。

 

暑い夏の時期用の薄手の服、寒い冬でも温かい厚手の服、どれもこれもジュニが好んで来ていたものばかり。

 

手に取ってみると、あの子の体毛が僅かに付着しているものや、まだ微かに匂いがのこっているものもあり、懐かしさと寂しさで思わず涙してしまいました。

 

でも、いつまでも泣いてもいられません。

三が日が明けてすぐ、私は転職先での仕事が始まりますし、そうなったらここ半年以上、有休消化と転職活動で家にこもりがちだった生活ともおさらばです。

ジュニ、お姉ちゃん、来年から新しい職場で頑張るからね。

たまには、ママやパパ、お姉ちゃんのところに帰ってきてね。

そうあの子に語り掛けながらも、静かに年越しを迎えたいと思います。

 

皆さんも、新型コロナに気を付けて、無事に新しい年をお迎えください。

今年一年、お世話になりました。

ジュニがいないクリスマス

皆さん、こんばんは。

歩です。

今日は12/24、クリスマス・イヴですね。

寒くなってきましたし、新型コロナ感染者数は中々減らないどころか、増加の一途をたどっています。

どうか皆さん、体調に気を付けて、素敵なクリスマスをお迎えください。

 

我が家にとっては、ジュニが逝ってしまってから初めて迎えるクリスマス・イヴになりました。

例年は、この日は私が仕事帰りにちょっと寄り道して、わんちゃん用のケーキを2、3個購入するのが常だった分、今年はどうしようかと母に相談しました。

すると、両親とも揃って、「買ってきて」との返事。

自宅の居間に飾ってある遺骨と位牌、写真のところにお供えしてあげよう、という話になりました。

 

ジュニは、元々、このワンちゃん用ケーキをとても気に入っていて、私が買ってきてジュニ用の小皿に開けた瞬間にロックオンするのが常。

普段は母がセットした自分のご飯をいい子で食べるのに、この時ばかりは自分のご飯なんて後回し。

テーブルの周りを飛び跳ねながら、

「ママ!パパ!姉ちゃん!それ、僕の好きなの!! 早く頂戴!!」

とアピールして回るのが当たり前でした。

 

最初に挙げた時は、見慣れない形に恐る恐る口をつけていたという感じだったのに、味を覚えてからは、まさに「がっつく」という表現が当たり前。

普通、ワンちゃんの食べる態勢としては、上から舐める、または食べるが定番なのに、ジュニはこのケーキを食べることにおいて、「首を曲げて、側面の角から食べる」という技をいつの間にか覚えていて、仰天したことも、もう懐かしい話です。

 

ワンちゃん用に作られたケーキとはいえ、人間も食べられる素材で作ってあることには変わりないので、お供えしてその後、頂こうという話になったため、昼間に外出してジュニがいつも好んで食べていたケーキを2つ購入してきました。

天国で、先に逝ったナナと、仲良く分けて食べてくれるといいな、と思っています。

【ジュニの闘病1か月の記録】3回目の抗がん剤投与完了、しかし・・・

皆さん、こんばんは。

歩です。

 

新型コロナウイルスの猛威が中々止まりませんね。

勝負の3週間も結果は散々、年末年始がロックダウンにならないかと内心冷や冷やしています。

いや、それ以前に年明けからの転職先での仕事が、早速テレワークになるかもしれない、そんな日々を送っています。

皆さん、お互い、できる限り自分でできる対策はして、体調に気を付けて過ごしましょうね。

 

さて、本日は、3回目の抗がん剤投与の様子を書こうと思います。

実は、この3回目の抗がん剤投与の僅か3日後、ジュニは天国へ旅立ちました。

そのため、今回の記事からの内容を記載するにあたって、ジュニが息を引き取るまでの記憶を掘り起こした部分も多く、時に文字を打つ手が震えてしまい、思うようにブログを書き進めることができずにいました。

なので、ところどころ、乱文になっているかもしれません。

読みにくかったら、飛ばしていただいて構いませんので、お付き合いいただければと思います。

では。

2回目の抗がん剤投与を終えてからのジュニは、相変わらずだった。

1日3回の体温測定、呼吸数はいずれも基準値内、食欲も旺盛そのもの、そしていつも通りの甘えたがり屋さんを発揮していた。

しかし、病院から処方された薬が猛烈に苦いらしく、「お薬の時間だよ~」と言うと、途端に、「ヤダ!」と駄々っ子になり、そっぽ向いて頑なに口を開けようとしない。

ジュニは元々、カボチャの団子の中に混ぜてしまえば、ほとんどのお薬はこくんと飲みこんでしまう子だっただけに、私と母は、お薬のあげ方に相当苦戦することになった。

 

私達は再びジュニを連れて、動物病院を訪れた。

自宅療養中、特に大きな体調不良もなくいつも通り過ごしていたジュニだったが、この前日、少し気になることがあった。

ジュニが、不定期に喘息のような咳をするようになったのだ。

 別に痰が絡んでいるような気配もないのに、一体どうしたのだろう?

一抹の不安を感じながらも、病院に訪れた私達は、いつものように、抗がん剤投与前のジュニの血液検査について報告を受けていた。

 

T先生;

「今日の血液検査なんですが、まず、肝臓、腎臓、炎症、電解質には大きな問題は認められませんでした。

いずれも改善してきています。

そして、WBC(白血球総数)が3800と、ちょっと微妙なところなんですが、この場合、好中球は大体1800くらいと通常の5割近くはあるので、打てないことはないんです。

なので、こちらとしては、抗がん剤を打つサイクルは止めたくはないので、通常量より25%くらい減らして、オンコビンを打つつもりです。

実際、ジュニちゃんのリンパ節の大きさは、あまり先週と比べて変わっていません。

あまり間隔を開けすぎてしまうと、中々小さくなっていかないし、あるいは抗がん剤が効かないタイプのものかも分からなくなってきてしまうんです。

サイクルは崩したくない、ちょっと量は減らすけれど、打ってみて、様子を見るという感じですね。

また、咳のほうについてですが、肺のレントゲンを撮ったみたんですけれど、大きな異常はなさそうですし、炎症の値も低いので、肺炎とは考えにくいです。

元々心臓であったりが少し悪いのかな、というところもあるんですけれど、咳するほどの悪さでもないんです。

今のところ、心臓にも肺にも大きな問題があるようには見えないので、もしかしたら一時的なものかもしれません。

1日何回咳の頻度があるか、症状が強くなってくるのか、といったところを診てください」

 

T先生がそう説明し終えた時、まさにジュニがその痰が絡んでいるような咳をし始めた。

 

私;「先生、こんな咳なんです。これを、1日に5,6回、ここ数日でするようになって」

 

症状を目の当たりにしたT先生は、ちょっとジュニの様子を見ていたが、特に痙攣や食欲不振もないのなら、多分大丈夫だろう、と判断していた。

 

一時期、本当に弱っていたジュニをここまで回復させてくれた先生の言うことだから、大丈夫、そう思って、私達はジュニに3回目の抗がん剤投与を受けさせた。

実際、ジュニの今回の血液検査結果は、前回と違って見違えるほど回復していたのだ。

後は、目に見えるリンパ節の大きささえ、小さくなってくれれば、きっとジュニは治る。

そう思っていた。

 

しかし、いつものように夕方に迎えに行って、あとは会計してお薬もらって帰る、という時。

私は異変に気付いた。

キャリーケースの中で座っていたジュニが、今までと違ってブルブル痙攣していたのだ。

 

私;「ジュニ、どうしたの?大丈夫!?」

 

会計していた母が私の様子に気付いて戻ってきたが、その時にはジュニの痙攣は収まっていた。

呼吸が乱れている様子もないし、熱もない。

表情もしっかりしている。

だから、てっきり一時的な不調が来ただけのことなのかもしれない、と思って、深く考えなかった。

今思い返せば、これは間違いの第一歩だったのかもしれない。

明らかに、前回、前々回と様子が違うのに、すぐ傍に診てくれる先生達がいたのに、何故、ジュニを診てもらわなかったのか。

この時の判断を、3日後に猛烈に悔やむことになろうとは、私も母も思いもしていなかった。

大慰霊祭と4回目の月命日

皆さん、こんばんは。

歩です。

 

新型コロナウイルスが再び流行してきました。

今一度、

  • 手洗い、うがい
  • ソーシャルディスタンス
  • 三密回避
  • アルコール消毒

などの基本を守って、お互い感染しないように心がけていきましょう。

 

さて、我が家では、ジュニの4回目の月命日が過ぎました。

それでも、やっと4カ月。

まだ半年も経っていないんだな、と思うと、身近な存在の喪失に関しては、時が過ぎるのはとても遅く感じるような気がしてなりません。

寒くなってきたこの頃、私達はナナとジュニの遺影に対して、手製のアップルパイをお供えすることが増えました。

このアップルパイは、私が幼少期の頃から母が手作りしてくれたもので、ナナもジュニも大好物。

ナナは、自分の分を食べ終わると、私に対して、

「姉ちゃん、まだ残ってるでしょ!頂戴!」

とおねだりしてきたものですし、ジュニはジュニで、

「ママ!それ、僕のでしょ!早く頂戴!」

と、おやつタイムのアピールがいつもよりすごかったのです。

仲良く二人が食べてくれている姿を思い浮かべて、静かに日々を過ごすのが、ここ最近の私達の過ごし方になっています。

 

この時期だと、そろそろ年賀状の準備をしなければいけないところですが、今年、我が家では家族同然のジュニの喪に付すことにしていて、いつも新年のあいさつとして年賀状を出しているところには、既に喪中はがき、またはメールでの連絡を済ませました。

 

幸いなことに、現在年賀はがきをやりとりしている友人たちは、ペットロスや、私のジュニの可愛がりようをよく知っているので、皆がジュニの訃報を聞いて、哀悼のメッセージを返してくれました。

それが何より良かったと思っています。

 

来週の土曜日には、大慰霊祭が行われるので、参加してくる予定です。

【ジュニの闘病1か月の記録】好中球の数回復、2回目の抗がん剤投与

「」皆さん、こんばんは。

歩です。

 

前回の闘病生活日記から大分間が開いてしまいましたが、本日はその続きを書こうと思います。

前回は、2回目の抗がん剤投与に向かったものの、直前の血液検査の結果、ジュニの血液中に含まれる好中球が非常に少ない状態で、抗がん剤投与を見送ることになったというお話をしました。lymphoma.hatenadiary.com

今回はそれから3日後、再び2回目の抗がん剤投与に訪れた時のやりとりをご紹介したいと思います。

では。

この日は、前回と違って、風もなく穏やかな晴天日。

久々に、ジュニは私の自転車の前かごに収まる形で、病院に向かった。

風を切る感覚が気持ちいいのか、ジュニは時々目を細め、外の匂いを嗅ぐように鼻をひくひく動かしていた。

 

朝一で血液検査を行ったところ、今日は抗がん剤投与が可能、とのことだった。

前回、31.0  [百/μL] しかなかった白血球数 (WBC) が、今朝の段階で、65.0 [百/μL]まで上がっており、ワンちゃんの参考基準範囲を満たしていたことからの判断だった。

ただし、一点だけ異なるのは、投与後の調子が良ければ、夕方には帰宅できる、という点だった。

夕方、抗がん剤投与を終えたジュニを引き取りに行くと、改めてT先生から、今朝の血液検査の結果に関する説明があった。

 

T先生;

「まず、血液検査の結果についてですが、今朝も軽くお話しした通り、血液中に含まれる白血球の数、WBCが基準値まで戻っていました。

また、抗がん剤を打ったことによって、一番値に大きく変動が出る、肝臓(GOT, GPT, ALP)や、腎臓(BUN, CRE)の値がだいぶ下がってきて、ワンちゃんの基準値の値に近いところになってきました。

Na, K, Clといった電解質の値も、いずれも基準値に収まっているので、とりあえず副作用のほうは心配ないと思われます」

 

参考:ジュニの血液検査(前回との比較)

     前回     今回

      WBC

    (白血球数)

     31.0        65.0
    GOT (肝臓)         15         19
    GPT (肝臓)        140         85
    ALP (肝臓)       1218        895

    BUN (腎臓)

       31.3        26.2
    CRE (腎臓)        0.55        0.50
   Na (電解質)         146         144
    K (電解質)         4.4         4.4
   Cl (電解質)         113         112

(赤色基準範囲増加したもの青色は降下したもの)

 

T先生;

「ただ、ちょっと気になる点として、大体1 cm弱程度の腫瘤が脾臓に認められました。

これは前回のレントゲン写真の時には見られなかったものです。

腫瘍かは分からないけれど、何かしらの出来物ができている、という感じですね」

 

母;「癌に発展する可能性もある、ということですか?」

 

T先生;

「細胞を採取して、病理検査に出してみないと分からないです。

なので、これは大きさが変わらないかどうか、経過をみながら、というところですね。

脾臓の腫瘤っていうのは色々ありまして、一番多いのは血腫、血の塊であったり、悪性のものであったり、例えばこのサイズから大きくなってきて、破裂しちゃったりすることもあるんです。

基本的にもろいので、血腫が破裂してしまうと、そこから出血して、身体から血が出ていくので、二次的なトラブルになってくることがある。

抗がん剤をうちながら、ここは確認して、それを防いでいく形になります」

 

私;「この腫瘤は急に出来たってことですか?原因は?」

 

T先生;

「これは、多々あることで、原因は特にないです。

脾臓とかは特にできやすいですし、肝臓辺りもそうです。

これは徐々に大きくなってきたのかな、とは思います。

リンパ腫由来かどうかまでは、ちょっと分からないですね。

それ以外は、大きな変化は出ていません。リンパ節の大きさも変化はないです。

大体1 cm×2 cmくらいです。

後2クールうって、これがどこまで変化するかが大事ですね。

今は、半分くらいはやっつけられている、というイメージです」

 

ちょっと気になる話ではあるが、要するに今は経過観察で十分ということで、私と母はひとまず安堵した。

最後に、T先生からは、今回打った抗がん剤は、エンドキサンという前回投与したオンコビンよりも効果の弱いタイプであることを説明され、下記のような注意事項を受けた。

 

T先生;

「今回打った抗がん剤は、抗がん剤で退治したものが尿として排出されやすいものを使っているので、こまめにトイレに行ってください。

我慢させてしまうと、代謝産物が溜まって、膀胱炎を起こしやすくなってしまいますので。

目安としては、1,2時間に1回くらい。今日は寝る前にお薬1錠飲んで、1時間後にトイレしてから寝かせてください。

おむつ使用でも大丈夫です。

それと、今回から今まで飲んでいたお薬や、ステロイドの量も減らしていきます。

もし血尿が出たりしたら、連絡してください」

 

その時、診察室のドアがノックされ、女性スタッフに抱っこされたジュニが入ってきた。

抗がん剤による効果で、ちょうど外にトイレをしに行って戻ってきたところだという。

このように、今日1日は頻繁にトイレに連れていくか、あるいはオムツをつけて過ごさなくてはいけない。

勿論、処理する時には防護用の手袋をしなくてはいけないし、仮に外でトイレをする時には水で洗い流したりしなくてはいけないことも忘れないように、と以前受けた注意事項も改めて言及された。

 (理由については、以下の記事を参照)

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私;「ジュニ、お疲れ様。よく頑張ったね!」

 

尻尾を振って飛びついてくるジュニは、朝と変わらず元気だ。

ゆっくり自転車で帰路に着く中、私の自転車で相変わらず気持ちよさそうに辺りを見回すジュニ。

次の投与は1週間後。

リンパ腫が少しでもやっつけられるように、頑張ろうね、とジュニに語り掛けながら、私達は帰宅した。

リンパ腫の治療法「UW-25」とは?

皆さん、こんばんは。

歩です。

 

本日は、前回の記事で述べたリンパ腫の治療法「UW-25」について、もう少し詳しく書こうと思います。

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リンパ腫の治療として適用されている「UW-25」は、抗がん剤の多剤併用療法を25週行う方法のことを言います。

基本骨格として、用いられる抗がん剤は、

の4つとされ、これらの頭文字をとって、「CHOP」と呼ばれています。

「UW-25」は、このCHOPを用いた多剤併用療法の中でも、

奏効率:94%、平均奏功期間:約10カ月、生存期間:約14カ月

と総合評価した中では、現在最も好成績なプロトコルとされています。

 

 

また上記にあげたCHOPは、下に行くほど効果が高い反面、副作用の危険性もある抗がん剤とされています。

ジュニの場合、実際に投与されていたのは、オンコビンとエンドキサンの2種類でした。

導入治療開始直後に、ジュニに投与された抗がん剤は、2番目に効果が高いとされるオンコビンで、既にステージ5の状態だったジュニの場合、副作用が強く出る可能性があるということから、万一に備えて入院という形になりました。

結果として、この最初の抗がん剤投与は功を奏し、ジュニは見違えるように元気になったので、UW-25プロトコルの効果というのは、確かなのだろうと思います。

 

今後、もっと研究が進んで、ワンちゃんのリンパ腫の原因究明や治療法の確立などが進むことを願ってやみません。

ジュニの存在の大きさを改めて知った出来事

皆さん、こんばんは。

歩です。

 

私事ですが、ようやく転職先が決まりました。

6月に自身のキャリアアップのために転職すると決めて退職したのはいいものの、新型コロナ流行による緊急事態宣言発令で、求人の口は激減し、とても厳しい転職活動となりましたが、やっとこさ、肩の重荷がおりました。

 

ただ、この解放感と喜びを報告したい相手であったジュニが、もういない。

 

「ジュニ、お姉ちゃん、やっと転職先見つかったよ」

 

今までだったら、ジュニの鼻と私の鼻をくっつけて、そう報告できたのに、今はあの子は天国にいて、言葉を届けることしかできない。

温もりも柔らかさも、甘えるような仕草も声も、私の記憶の中にしかない。

その事実が、やはりとても悲しいです。

 

皮肉なことですが、ジュニが余命宣告を受け、亡くなるまでの6月~7月の間、新型コロナウイルス流行による影響で、転職市場の求人数が激減していたことで、あの子の闘病生活に全面的に協力できていました。

 

もし、6月に退職していなかったら。

もし、新型コロナウイルスの流行がなかったら。

忙しさにかまけて、ジュニが大変な時に面倒を見てあげられなかったかもしれない。

もしかして、ジュニは自分が私の足を引っ張っちゃいけないと思って、あの時期に逝くことを選んだんじゃないか?

そんなことさえ思ったことがあり、しばらく自己嫌悪にも陥りました。

そのため、転職活動そのものも一ヶ月ほどできずにいたのですが、ジュニの供養を行い、ジュニの闘病生活などをこうしてブログに書いていくうちに、少しずつ気持ちが落ち着き、少しずつ転職活動を再開できるようになりました。

 

たとえ今傍にいなくても、やっぱり私の日常生活は、ジュニ、そして先代のナナに支えられている。

あの子たちと一緒に過ごした時間が、今も私の中にある。

そう改めて思いました。

悲しい気持ちは消えませんが、来年からの仕事に向けて、少しずつ準備を進めていこうと思っています。 

犬のリンパ腫ってどんなもの?Part 3 (原因と治療法)

皆さん、こんばんは。

歩です。

 

前回に引き続き、「犬のリンパ腫」について私なりに調べたことを、ご紹介していきたいと思います。

 

今回はPart 3 「リンパ腫になる原因と治療法」についてお話していきます。

Part 1(定義、種類), Part 2 (症状、ステージ)が気になる方は、こちらの記事からどうぞ。

 

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では。

リンパ腫になる原因は?

残念ながら、今のところ、ワンちゃんがリンパ腫になる原因というのは、科学的根拠が明らかになっていません。

何らかの遺伝子異常によるもの、あるいは発がん性物質を何らかの形で接種したことによる発症、とは言われていますが、まだ詳しいことは解明されていません。

これが猫ちゃんの場合になると、「猫白血病ウイルス」というものがあり、これによる感染症にかかることによって、リンパ腫になるケースが多いということが分かっています。

しかし、ワンちゃんの場合は、このような単独のウイルス由来のものかすら、まだ分かっていないのが現状です。

 

ですが、これまでリンパ腫を患ったワンちゃんの傾向を分析すると、大型犬のほうが発症率が高い傾向にあるようです。

などが当てはまります。

また、外国での統計データでは、シーズーダックスフンドブルドッグ、コッカー・スパニエルなども、比較的発症率が高いという報告結果が出ています。

ご自分のパートナーがこれらの犬種にあてはまる、という方は、愛犬のリンパ節を日頃から確認するようにしてください。

 

また、愛犬のご飯に対しても、十分注意が必要です。

ドッグフードはドラッグストアなどでも購入できますが、安価な分、栄養素が少なかったり、中には発がん物質が含まれているような粗悪なものが売られているケースもいくつかあるようです。

愛犬のご飯を購入する時には、そのご飯が安全なものであるかを良く確認したほうがよいと思います。

これについては、後日別の記事で詳しくお話ししたいと思います。

 

リンパ腫の治療法

抗がん剤投与による化学療法が一般的ですが、結論から言うと、リンパ腫を完治することはできません。

 

癌化してしまったリンパ球の数を減らし、外見上、しこりなどがすべて消失した状態で安定させるという「完全寛解という状態に持っていき、その状態をできるだけ長く維持して、QOL (quality of life: 生活の質) の改善を図る、ことが重要視されます。

 

メジャーな治療法として取り入れられているのが、「UW-25」というプロトコルに則った方法で、25週に渡って抗がん剤投与を行う形になります。

この方法の効き目は高く、効き目は94%程度、治療を行った後のワンちゃんの余命は、1, 2年程度は確保できるそうです。

 

ただし、リンパ腫が再び増加(「再燃」)してくることも十分ありうるので、その時には抗がん剤治療を行うことになります。

そして、UW-25プロトコルを行う回数が多くなればなるほど、効き目も薄くなってくる傾向があるようです。

 しかし、リンパ腫に罹ったワンちゃんの中には、再燃することなく、ずっと寛解状態を保ったまま寿命を迎えた子も、1~2割程度いるようです。

 

愛犬がリンパ腫になった方へのメッセージ

愛犬がリンパ腫と診断された時のパートナーの方は、とても強いショックを受けられると思います。

私自身、今年の6月にジュニがリンパ腫で余命宣告された時には、かつてないほど動揺し、取り乱し、泣きました。

しかし、自分で犬のリンパ腫について色々調べていくことで、リンパ腫で余命宣告を受けたからといって、むやみに悲しんだり恐れたりするのでなく、

「今一緒に過ごしている大切な家族のために、何をしてあげられるのか?」

ということに重きを置いて考えられるようになりました。

 

それは、自分で調べることによって、

  • リンパ腫に対する初めての抗がん剤治療の効果が、かなり高いこと
  • 抗がん剤治療を受けた後、2年以上長生きしたワンちゃんも1~2割ほどいること

といった、比較的プラスの要素を見出すことができ、少しでも不安が解消されたことが大きかったと感じています。

 

結果的に、ジュニは、免疫力の低下から起こった急性肺炎によって、7月に旅立ってしまいましたが、私は未だにジュニが、抗がん剤治療を始めて亡くなるまでの1か月の間、見違えるように元気になり、本当に嬉しそうにしていた姿を鮮明に覚えており、あの時、「抗がん剤治療をしない」という選択をしなくて良かった、と思っています。

 

ですから、愛犬がリンパ腫になり、余命宣告を受けたとしても、どうか悲観しないでほしいと思います。

抗がん剤治療を受けるも受けないも、皆さんの意思次第ですが、今パートナーである貴方が、愛犬とどう過ごしていきたいのかを何よりも大事にしてください。

 

このリンパ腫に関するページは新しい情報を仕入れるたびに、随時更新していく予定です。

もし、皆さんの中でリンパ腫や抗がん剤治療に関しての情報をお持ちでしたら、コメント頂けると幸いです。